雨のち晴れ

40代主婦の考え事・いろいろ

これが生きるっていうこと

おはようございます。

長男は弁当と大量の給水を持って5:40に出て行った。自転車と電車を乗り継いでの試合だそうだ。

次男は6:00に出て行った。こちらはチームの有志での自主朝練。

他2名は気持ちよく夢のなかだ。

そして私は洗濯機を回して、中途半端な時間を持て余している。

頭が重くてあまりやる気が起きない。昨夜も1時に夫に蹴り起こされて、3時まで訳の分からない文句を言われた。飾ってあったサインボールを手に取って壁や窓ガラスに投げつけようとする。私は、家の中をめちゃくちゃにされては大変だと夫の腕を押さえつけたのだが、抵抗されて思いっきり口に頭突きをくらってしまった。

油断したな…すぐに冷やしたけどやはり腫れている。今日はこれからスポ少の役員の集まりがあるのに困ったなあ。

なんでこんな人生なのだろうと情けなくなる。

 

でも私は意外と元気だ。それは、100歳のおばあさんの言葉を聞くことができたから。

『それが生きるってことよ』

どんな人生だろうと、どんな状況だろうと誰もがこうして生きている。

なんという達観。なんという清々しさ。

昨夜、頭突きをくらって唇を腫らして、さっき飲んだアイスコーヒーが美味しいと思い、あら!今朝は涼しいじゃないと思う。

これが生きるってこと。

 

さあ、明るく爽やかに今日の一日を務めよう。

おもしろくない夏

いつもうるさい事ばかり言っているのも嫌だし、夏休みくらいダラダラ気ままに過ごす時間もあってよいと、確かに今日は勉強などやる事が終わればゲームをしても良いと言った。

 

だが、しか―し!

分かっていたけど、やはりイライラする。

脱ぎっぱなしの服、床に転がっているテレビのリモコンと飲み終わったコップ、グチャグチャのソファーのカバー、もう、この部屋は無法地帯だ。

 

怒鳴る代わりに、思いの丈をこのブログに綴ろう。

 

イライラ・モヤモヤのもう一つの原因は、最近子供達のために良かれと思った試みは全て不発に終わっているということ。

 

その1。私がさり気なく本棚においた本には見向きもしない子供達。

長男が卒業のお祝いで子ども会から貰った図書カードで本を買いたいと言うので、機嫌よくどうぞどうぞと送り出し、何やら分厚い本を買って来たので、どれどれ、参考書か長編ものの物語かと思ったら、実はゼルダの伝説の攻略本だったこと。

以前、何を読もうとよいのだとカッコよく書いたものの、やはり残念でならない。目の前の光景は読書の夏どころかゲームの夏。結局、本はゲームに勝てないのだろうか。

 

その2。春、はりきって始めた長男とのマンツーマン英語勉強はたったの3回で終了したこと。文法どころではない、期末で出る単語覚えなくちゃいけないんだよ!という長男にまあ、そうだよね。優先順位ってものがあるものね、と承知した。その後、宿題のワークを繰り返してるうちにもう、もう分かったからママはいいと言われた。

あっそ。およびでない…

 

その3。三男がピアノを辞めてきてしまった。これはかなりのショック。

三男は譜読みも早く、わりと苦労せずに上達するので、これは向いている。特技になると思い、5歳からおだてたり、プレッシャーをかけたりしながらなんとか続けてきたのだ。でも、なんせ練習が嫌いだから困ってしまう。

情熱家でスパルタの先生に「やる気がないならやめろ!」と怒られてむっつり帰ってくると、「もう僕やめるから先生に言って」と言って譲らない。しかたなく先生に相談しようと電話をすると、「本人がやめると決めたんでしょう。この子は才能があると思う子に限って練習が嫌いという事がある。ピアノというのはね、お母さん。練習しなきゃ始まらないのよ。残念だけど諦めましょう。」とのこと。そうなのだ。私も、あの子に練習させるのはこれ以上限界だと感じていた。実際、勉強にも支障が出てくる。それにしても、もったいない。もう少しで子犬のワルツが弾けたのに。ここまできて辞めるか…

 

やはり、三男は「努力する能力」がないのだろう。これは勉強でも言えることで、今後いろんな場面で苦労するだろう…本当にあの子はどうしたらいいんだろう。

 

 それから、長男は少し前からすっかり喋りたがらなくなってしまった。

特に中学校での様子はあまり分からないので、色々聞きたいのだが、分かんない、忘れたー、知らねー、しか返ってこない。分かんないって何よ?自分の事でしょ。

 

今日は長男が部活で留守中に中学校の家庭訪問があった。先生に学校での様子をたくさん聞く事ができて良かった。先生は生徒の性格や家での様子が知りたくてたまらないとう感じで、とてもよい先生だと思った。

今後とも息子をどうぞ宜しくお願い致します。

 

帰ってきた長男に「先生なんか言ってた?」と聞かれた。ニヤリ。しめしめ…

「分かんなーい。忘れたー。」と答えてやる。勝ったな…

 

すると「ふーん。」だけで行ってしまう。え?そんだけ?もうちょっと食いついてほしかった…もうちょっとおしゃべりしたかった…

 

ホントにもう、おもしろくない。

 

 

 

心が弱っている時はとりあえず何も考えないで作業に没頭するという方法

そういえば私、頭を使わずに何かの作業に没頭することは嫌いでない。

 

 例えば、皆が嫌がるベルマーク集計のような単純作業は全然苦じゃない。その他、ナンプレを解く、ダーっとピアノを弾く、ひたすらステンレスのやかんを磨く、なんてことを意味なくやっている。

 

特に頭も使わず、意味のない作業に没頭するのが好きだなんてことは、何の生産性もないし、頭が悪い暇人だという事を露呈するようで、人に言うのは気がひける。

 

でも最近、この意味のない単純作業が実はストレス解消に一役買っているのではないかと思うようになった。これは、自分のなかでの大発見だといえる。

 

言葉にするのもうんざりなので詳しくは端おるけど、例えば、夫が延々と嫌味や皮肉や蔑みの言葉を吐いて出勤した後、ああ、やっと、終わった。もう、うんざり。もうだめかも。とさっさと片付けをしてバイトに行かなきゃ行けないのに食卓に座り込んでしまう。そんな時、例えばとりあえずナンプレ本を開き、集中して1問解くと、不思議なもので何故か気分が晴れないまでも少し上向く。そしてその後の一日をなんとか保つことが出来る。

 

こんなことをここ何年か無意識にやってきた。もし、これがなかったら鬱病をこじらせるのではないかと思うとゾッとする。

 

ただ、この無心で作業に没頭する行為がなぜストレス解消になるのか説明できない。ただの現実逃避であるとも言えなくもないけど、自分の感覚としてはそれ以上の効果があるような気がしている。心理学でも脳科学でもいいから納得のいく説明はないのかと思い、少し調べ始めている。

 

昨日、今日と夫が二連休で家にいる。夫が何を言い出すか、何をやり出すかと気が抜けないので、私も予定を入れずに家にいる。

酒癖が悪いのはいつもの事だが、昨夜は何度も起こされ、殆ど眠れなかった。おかげで酷い頭痛がする。幸い、子供達には何も危害が及んでいない。助かった。

 

夏休みで子供達はそれぞれ予定があり、出たり入ったり。なんだかんだで忙しく、あまり時間はない。

 

ナンプレはちょっと飽きてしまったな。

何かちょこっと没頭出来るものはないだろうか…

 

 

 

 

はやまった1000円カット

合宿前に髪を切っておこうという、ということで次男を連れて1000円カットに行った。

 

おっ、空いてる。ラッキー!

おじさんが1人しかいないじゃない。券売機でカードを買いながら、暑さのせいで、ふっとよからぬ考えが…私も切っちゃおうかな…という考えが頭をかすめた。暑くて、暑くて、本当に鬱陶しい。どうせ縛っちゃうんだからどこで切っても同じでしょ。空いているし…切っちゃおうかな…切っちゃおうかな…切っちゃえ!と勢いでカードを2枚買ってしまった。

 

呼ばれてまずは次男が座る。刈り上げないで下さいとお願いしている。なにぃ?思い切って切るんじゃなかったの?おしゃれスポーツ刈りにするって言ってたじゃん?と思う。

ここで私の内弁慶の性格が出てしまう。病院と美容院が苦手なのだ。こんな歳になってもまだこういう場所では借りてきた猫みたいになってしまって、横から口を挟めない。

 

おじさんが終わると、普通に「どうぞー」と言われて次男と並んで座る。次男が悪そうな顔をしてニヤリと笑う。ふん!と思いながらお任せする。

 

痩せたおじいちゃんが入ってきた。

あらら。こんな暑い時間に大丈夫かしら?もっと涼しくなってから出てくればいいのに。

 

そうこうしているうちに、同じマンションで長男の同級生のA君とそのお父さんが入ってきてしまった。

やっだぁ…ここで知り合いに会うのは気が引ける。やだぁ…もう。早く終わらないかなあ…

 

A君親子に続いて、さらに汗だくの営業マンが入ってきて、瞬く間に4人待ちになってしまった。なんだか混んできちゃった、やだぁ~。

 

別に気にしなけりゃいいのかもしれないけど、なんだか間違って男湯に入っちゃったような気分。どうも居心地が悪い。

 

程なくしてカット終了。A君のお父さんに引きつった笑顔で会釈する。あれ?ああ、どうも。ガンボさんか。という表情。なんだ、気がついてないならとぼけてそーっと店を出ちゃえばよかった。それも、感じ悪いか…

 

ちょっと早まったかなあ…

でもスッキリした。

 ああ、でもやっぱり、 やっちまったのかなあ…

 

 

 

 

 

 

読書感想文と読書について思うこと。

今年の夏休みも読書感想文が必須課題になっている。これってけっこうめんどくさい。特に低学年は勘弁してよと思う。

さすがに 次男あたりはもう読書感想文は手伝わなくても何とか形になりそうだけど、小4の三男は苦戦するだろう。そして、親がノータッチだと物凄~くお粗末なものになってしまうのが読書感想文だ。(自由研究も、だけど…)

 

アブラゼミのなき響く中、読書感想文に親子で長時間頭を悩ませるなんてうんざりだ。さっさと片付けてしまいたいと思う。

 

本の選定は、出来るだけ子供に選ばせるようにしている。ここ何年かはもう推薦図書にはこだわらない事にした。自分で好きだと思える本でなければ言葉が出てこない。結局、書けやしないないんだもの。

 

 それに、例えどんなにお気に入りの本だとしても、子供って感想を言葉にして、そこからさらに考えを膨らませるなんてできない。

 

 結局、私が「何故この本を読もうと思ったの?」「どこが一番面白かったの?」「もし、自分ならどうした?」とかいわゆる感想文の必須項目をインタビューしてなんとか子供の言葉をひり出してメモをとり、構成順にメモを並べ直して原稿用紙に書かせていくことになる。

 

 そもそも読書の楽しみや喜びとは何だろう。読書の真骨頂とは、ご飯なんて後でもいいから先が読みたい、どうしても知りたい、とかではないのか。ハラハラ、ドキドキ、ワクワクだとか、なんてやるせないのだろう、だとかではないだろうか。読後のなんとも言えない寂しさと充実感ではないだろうか。

 

どっぷりと本の世界に入り込むことができたら、これ程素晴らしいことはない。そんな本に出会えたら、きっとそれは自分の人生の宝になる。

 

児童文学作家であり、福音館書店の編集者でもあった斎藤敦夫先生という方がいる。実は私、読書に関する考え方はかなりこの先生の影響を受けている。

 

斎藤先生はある講演のなかで、

「子どもに絵本を読み聞かせたあとに、感想を聞いてはいけません。ただ、面白かった、それだけで良い。読書感想文。あんなものは最悪です。本が、嫌いになってしまう。そんなものは親が書いてやればいいんです。私の宿題は母が書いていました。」

と言っていた。(何年も前のことで口調は違うかも。内容に間違いはありません。)

 

これを聞いた時マジで?と思ったけど、斎藤先生の考えにはとても共感できる。

 

本を読むこと、それは生きる力を育むこと。

 「人間は本当に面白い、世界は広くて楽しい、生きるに値するところだと伝えたい」

斎藤先生にはこのような信念がある。

 

メディア嫌いの斎藤先生は今も講演会を中心に活動なさっているようだ。斎藤先生についてはこちらのサイトが分かりやすいかも。

 
『冒険者たち ガンバと15ひきの仲間』著者 斎藤惇夫さん bestseller's interview 第74回

 

というわけで、今年も三男の読書感想文は親が大幅に手伝い、ちゃちゃっと片付けてしまいたいと思っている。その代わり、面白そうだと思った本はどんどん自分で手に取り、出来るだけたくさん本に触れて欲しいと思う。だって、せっかくの夏休みなのだ。読書の秋というけれど、小学生の秋は体育にとられてしまうから。

 

 

夏休みを前に、無駄かもしれないけど子供達に是非読んで欲しい本をピックアップした。炎天下、ブックオフに行き本棚を整理し、Amazonでマンガを含めた何冊かを買い足した。

余計なお世話なのは百も承知だ。だからお母さんが昔読んで感動した本なんだけどね、とか、私のおすすめはね~などとは口が避けても言わないつもりだ。

 

他に読みたい本があるのなら、そちらを読めばよいと思っている。サッカーで疲れて本を読む気分でないならば読まないでもよい。本は感想文を書くためにとか、人に言われて読んでも面白くない。

 

自分に自信が持てない今こそ、親の言う事がウザイと思う今こそ、つまらないことですぐにイライラしちゃう、思春期病の今こそ、君達の心を揺さぶり、震わせるような、人生の師となるような、どっぷりと本の世界に入り込めるような、そんな本に出会って欲しいと思っている。ただ、それだけだ。

 

 

 

 

 

7月7日 : 願い事は忘れた頃に叶う~図書館にて~

私はどちらかというと、本を読むのが好きな方だ。読書量はそんなに多い方ではない。もっと読みたいなあとは思うけど、なかなか。

給料を本に注ぎ込めた独身の頃が懐かしい。今じゃめったに本は買わない。本にかける予算は子供の教育費や食費に回る。

 

でも、 幸いにも家から歩いて数分の所にこじんまりとした図書館がある。なんだかんだといって、私も、子供達も入れ替わり立ち代りこの図書館のお世話になっている。

 

私はこの図書館で1人過ごす時間が好きだ。時間があればここに立ち寄るようにしている。

喉が乾いたら、外に一つだけある自動販売機で缶コーヒーか何かを買って、立ち飲みをする。今日は暑いのでレモンティーにしよう。

 

若いお母さんが2.3歳の男の子の兄弟を連れて出てくる。さっきから静かにさせるのに大変そうだった。…ちょっと前の私みたい。子供達が小さい時、私もよくここに連れて来たものだ。

「まったく、男の子ってのはじっとしてられないから大変だよね。お疲れ様。」

おばさんよろしく話しかけたい衝動に駆られる。ダメダメ。嫌味に聞こえちゃってもいけない。やめておこう。

絵本コーナーは一般とは離れたエリアにしてあげて、多少うるさくても親が気にしないで本を選べるようにしてあげたらよいのに…なあんてぼんやり考える。

 

レモンティーが冷たくて美味しい。

 

子供が小さい頃、自分だけの時間が欲しい。1時間でもよいから欲しい。そんな1時間さえあれば、余裕のない自分をリセットできる。もっと子供達に優しくなれるのに。きっと、いつも笑顔のママになれるのに。こんな事ばかり考えていた時期があった。

 

そして、そういえば今、あの頃あんなに欲しかったもの、ささやかな1人だけの時間を手にしている。

 

あ。そういえば私、夢が叶っていたんだ…と気がつく。

 

夢や希望が叶う時って、結局こんなものなんだな。忘れた頃に、気がついたらいつの間にか叶っている。

 

笑っちゃう。ささやかな1人だけの時間を手に入れたからといって、いつも笑顔で優しいママでいられるという訳にはいかない。

 

冷たい午後ティーが本当に美味しい。

 

さあ、もうそろそろ帰ろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今、攻撃にあっている人へのエール

しかし、豊田真由子様の「このハーゲー!」にはびっくりだった。私だったら、こんなものが世に出たら恥ずかしくて外を歩けない。ひっそりと山のなかで自給自足生活をしよう…

私の感想は普通の感覚だと思う。ところが、あの手のハラスメントをする輩は自分のこんな言動を恥とは思わないのだ。

 

一部の報道によると、本人は落ち込むどころか、支援者に電話をして、周囲の反応や今後の自分の処遇ばかりを気にしていたというので、ああ、そうだよね、なるほど。と思った。

あの手の人は絶対に反省しないし、タチの悪いことに自分の酷い言動については、こんな事まで私に言わせる相手(被害者)が悪いのだ、被害者はむしろ私なのだという心理がはたらいている。だからこのような人につける薬はなく、考えを変えようとしても無駄なのだ。

 

私、パワハラモラハラも経験した。モラハラに関して言えば現在進行形だ。

「このハ~ゲ~」「ち~が~う~だ~ろ~!」を聞くたび、ほんとに嫌なものを聞いてしまったと不快に思う。

そして、いつの間にか自分が暴言を吐かれている秘書となって、この事態をとう乗り切るかを考えている。

 

対処①「このブース!運転中にギャーギャー騒ぐんじゃねー!」と逆ギレし、車をとめて代議士を車から引きずり出しボコボコにする。

対処②信号待ちの交差点でいきなり車を降りて代議士を取り残す。業務放棄。

対処③「左様でございますね」と聞き流す。

対処④無視。

対処⑤ボイスレコーダーに記録し、訴える。

 

今まで、すがるように読んだ本によると、様々なハラスメントをうける側の心の持ちようとしては、多分これらのどれもが正解らしい。

ただ、①については最高に気持ちいいけど、警察のお世話になる覚悟が必要だ。自分の社会的な立場も失うだろう。だけどそれでもいいではないかとも思う。こちらはもう限界まで追いつめられているのだ。

②についてもクビになる覚悟がないと出来ない。次の就職先を見つけたらぜひ実行したい。

③、④については、やってみたけど、やはりこちらが全く無キズというのはあり得ない。ストレスが溜まるので、よいガス抜き法がある人にはお勧めだ。

やはり、今回の場合は⑤が最善の選択だったのだと思う。

 

パワハラモラハラ、いじめの被害に合うことは本当に辛い。この辛さは筆舌に尽くし難く、また、やられた者でなければわからないものなのかもしれない。ここでその渦中にある人に私が声を大にして言いたいのは、

『そんななかでどう自分を保っていくのかというのを最優先で考えなければならない。』

ということだ。あまりやりたい放題に攻撃させておくと、自分の心が壊れてしまうから気をつけてほしい。

 

 「水と油」という、有名なモラハラブログがある。もの凄く客観的にモラハラの実態を記録したブログだった。私は始めて読んだ時、泣けて泣けて仕方がなかったし、勇気を貰った。このブログを書いた方は残念な事に自殺してしまった。本当に本当に残念だ。ブログのほうは暫くは妹さんが管理していたようだが、今では過去記事の殆どが削除されてしまっている。きっと色々と事情があるのだろう思っている。

 

様々なハラスメントやいじめに悩む人にむけての助言として代表的なものは『その場から離れろ』と、いうものだ。前述の通りハラスメント体質の人につける薬はないので、自分の精神が破壊される前に避難するのが得策なのだ。

私もそれが1番良いと思う。それしかないと思う。でも、そうする為には長い準備期間が必要だったり、肉親だとなおさらなかなか踏み切れないのも現実なのだ。そんな時、どう考えれば良いのだろう。

 

あくまで私の場合だが、言い返す、やり返す事が1番自分に合っているように思っている。

実際にやり返さないまでも、想像するだけで良いのだ。その昔、パワハラ上司の大事にしている車のタイヤにキリで穴を開けることを想像するだけで随分と解放された気分になったものだ。

 

その他、因果応報。自分のしてきたことは返ってくる。この法則を信じるだけでも救いになる。真由子様だってまんまとやり返されてしまった。

 

実は私、昨年の夏は最悪だった。

辛くて辛くてこのブログにも吐き出してしまったくらいだ。おかげで今ではブログの方向性もへったくれもないただの日記のようなものになってしまっているのだけど、もう、これはこれで良いのだと思っている。このブログに書くことで、自分の事についても子育てについても少しは客観視できているような気がする。文章を書く。これもお勧めだ。

 

パワハラモラハラに悩む方、いじめの渦中にある方、どうか希望を無くさないでほしい。なんとか自分にあうガス抜き法を探してほしい。

「もう、疲れた」何度もそう思うだろう。疲れたら休めばいいのだ。

「自分はなんて不幸なのだろう」何度もそう思うだろう。落ちるところまで落ちたら、もう上がるしかないのだ。この先の人生でこれ以上の不幸はないのだ。喜ばしいことではないか。

『死して屍拾うものなし』そんな人生を誰が責められるのだろう。いいではないか。そのような人達の営みの歴史の上に私達は生きている。

 

以上、色々と偉そうに語ってきたけど、私は決してパワハラモラハラを乗り越えてきた成功者ではない。

今でもあまりの暴言に気力を失い、翌日立ち上がれない日が多々ある。

 

今回の投稿は自分へのエールでもあるのだ。

 

言いたいことを吐き出しただけの文章。

最後までお付き合い頂いた方、どうもありがとう。