雨のち晴れ

40代主婦の考え事・いろいろ

どこまで言うのかの葛藤

藤井4段が大活躍!凄いなあ…

虫も殺さないような優しげな顔をしている藤井君だが、とても負けず嫌いなのだというエピソードをTVで紹介していた。

ほんとに凄いなあ…

そういえば卓球の愛ちゃんも負けず嫌いで小さい頃よく泣いてたなあ…

やはり、勉強でも運動でも負けず嫌いな子は強い。

いいなあ…

 

もし、子供が有名になって突然お母さんにインタビューなんてことがあったら大変だろうなあと思う。

取材に来る前に美容院行かなくちゃ。教育方針とか、小さい頃の様子とか、ネタを用意しなければならないなあ~。

なあんて、宝くじで3億円当たった時の事の使い道を考えるのと同様、有り得ない想像をする自分の馬鹿さ加減に失笑する。

 

ふと窓の外に目を向けると、先程からこちらに背を向けてじーっと下を向いて座っている次男がいる。かれこれ1時間半はああやって座っている。あぁ…神様。

ここのところ、約束しないで放課後おとなしく家にいる次男

今週に入ってからか、だいぶ前凝っていた泥だんご作りにまた熱中している。何処で取ってくるのか知らないけど、秘伝の砂を採取してきて、何度もだんごにかけては磨いているのだ。

 近づいてみると、念仏のように

「ツールツルのぴーかぴか…ツールツルのぴーかぴか…ツールツルの~」

えんえんと繰り返し歌っている。…大丈夫かよ?

次男はいったい何考えているんだろう。いや、きっとなーんにも考えていないのだろう。ただツールツルのぴーかぴか♪ツールツルのぴーかぴか♪つーるつるの…だけ。

 

全国の小学6年生はもっと勉強してるよっ!と言いたいのをぐっと堪えて洗濯物を取り込んだ。あまり追いつめるはよそう。

洗濯物を畳んでいると、

「さーてと、宿題やろ♪」

と通り過ぎてゆく。

… 泥だんごじゃ食べていけないよ!自分の将来、大丈夫?真剣に考えようよ!これもガマンした。エラいぞ、私。

小学生の頃、自分がおばさんになった時のことなど想像出来なかった。あの頃もっと勉強していればよかったとつくづく思う。

だからといって、自分が持てなかったものを子どもに望んだり、逆に自分と同じ道を望んだりするのはほどほどにしないといけない事は承知している。

子供は私の所有物ではない。子供には子供の人格がある。これも承知している。

あんまり子供にうるさく言って、家に次男の居場所がなくなってしまってはかわいそうだ。だけどね、神様。ただ私は次男の将来が心配なんです。本当にただそれだけなんです。だから言いたくなるんです…

 

冷静に。話は手みじかに。

とりあえず真面目に机に向かう習慣はついてはいるのはいいと思う。でも結果がでないのは何故か考えようよ。

 学力調査の結果。あれはマズイよ。平均か平均よりちょい下じゃん。ほら、成績表をみて、どこが出来ないのか一緒に振り返ろう。

国語は?考えすぎて、時間がなくて終わらなかった。そうなんだ。じゃ算数。これも見直しが終わらなかったんだ…。

分かる事と出来る事は違う。時間内に終らないのは、結局、詰めが甘いんだと思うよ。自分の中でOKと思える所も、本当に出来るかどうか確かめたほうがいいよ。ね。

じゃ、ご飯作ってくるからね。

 

…頼むよ。しっかり勉強してくれよ。

…ほんとに、たのむよ~。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

買い物と食事と私

昨日は雨が降ったり止んだりだったし、食材で買い足したいものもあったのだけど、スーパーに行けば無駄な買い物をしてしまうだろうということで、結局一日引きこもっていた。

なんていうのは言い訳で、派遣のバイトが思うように入らず、ポッカリと空いてしまい、気分的に何をするのもめんどくさくなったのだ。単に買い物に行くのをさぼっただけ。

 

案の定、今朝はパンがない、ご飯も炊いてない、作り置きの野菜系もない、時間もないという状態になり、後悔している。

仕方がないので、子ども達にはホットケーキを焼いて食べさせ、学校に行かせた。

朝食にホットケーキと麦茶だけでは力にならないだろうな…でもまあ、子供達は学校でバランスのとれた給食をガッツリ食べるのだから大丈夫だろう、なんて考えるところが私の悪い癖だ。

 

そもそも、買い物に行くのを苦痛に思う。小さい頃はアレをこうしたら食べてくれるかな、お楽しみにゼリー買ってあげようかな、など考えながら買い物をしていたけど、最近は質より量ということばかり考えて値引き品に目を光らす。

食材というのは食べれば無くなってしまうのは当たり前なのだけど、重い思いをして、一生懸命買ってきてもあっという間に無くなってしまう。冷蔵庫を見て、あ~もう無くなっちゃったと思う。最近じゃ米も1週間で5キロもたない。そして今後さらにパワーアップするのだろう。

だいたい、子供達は口をひらけば「お腹すいた」と「今日のごはん何?」ばかりだ。いやいや、食べ盛りで何よりなのだけど、こっちはホント、大変だよ…

 

なんて愚痴をここで書いているのは、ママ友に愚痴れないという事情もある。私の周りで以外と多いのが子供の食と健康について熱心なママ達だ。うっかり“風邪をひいているので今日のサッカー練を休みます“なんて言ったら「あれ?この前も風邪ひいてなかった?お大事にね」の言葉の裏にちゃんと食べさせてんのかよ?健康管理できてないじゃん。という心の声が聞こえてくる。(…ような気がする)

 

梅雨寒のせいか、昨日から三男は鼻を出している。学校では今日からプールが始まる。絶対に休まないと言って登校したけど大丈夫かしら。

 

長男も喉が痛いと言い出した。

あの子はだいたいどこかが痛い。昨日は足が痛くて、私と英語の勉強をしている時は都合の良く頭が痛くなる。

1週間前は睾丸がヒリヒリ痛むと騒いでいた。自分で検索して睾丸捻転かもしれないから一緒に総合病院に行ってくれと言う。冗談じゃない。先生に“お母さんねえ、もっと深刻な患者さんがいるんだから勘弁して下さいよ“って言われちゃうよ~。

 

今日はキッチリ食べさせなくては。

 

 

中1英語のつまづき

長男が英語でますます苦戦している。

こーれは、何とかせねば。私の出番だろう。私は久しぶりの長男とのマンツーマン勉強に胸を踊らせ、英文法の参考書まで買ってしまった。きっと長男にとって有意義な時間になるに違いない。

なのに…かなり嫌がられている。ママと勉強しても効率が悪いので自分で勉強した方がいいと言う。そんなこと言ったってアンタ分かってないじゃん。文法の基礎だけは押さえておかないとこれからずっと苦労するよ!

…って思うんだけど。

 

まず、Z会の英語が難しくてわからない。時間がかかりすぎる。学校の授業は聞いてわかったつもりでいるのに、問題を出されると間違うところをみると詰めが甘い。案の定、中間の結果もイマイチだった。

どっぷり文系の私は、受験英語の最初のいろはくらいであればなんとかいけるかな、どれどれと、しまじろうもビックリするほどイラストでいっぱいの教科書だの学校が用意した教材だのを広げてみた。そして、ああ、これじゃキビシイよなあ、という印象をうけた。

 長男の頭の中では、人称と動詞の関係がもやっとしている。be動詞と一般動詞もゴチャゴチャになっているみたいだ。

例文の合間に文法を小間切れに教えても、点と点が線で繋がらないのではないのかなあ。長男を見ていてそう感じた。

中1の今、文法を整理してきっちり抑えておかないとダメなのではないか、そう思って試しに思いつく限りの主語と動詞の関係を表にしてやった。こんなふうに後で繰り返し見られるように自分だけの文法用のノートを作れば良いんじゃない?どうだろう?

 

だいたい、こういうの授業でやんないの?ノート見せてよ。分からない時点で先生に聞けばいいじゃん。と言ったら、これがまた運の悪い事に英語の先生との相性がすこぶる悪いことが判明した。

 長男の言い分としては、先生は質問されるのが嫌い。宿題のやり方が分からないので聞きに行ったら、話を聞いていないのが悪いと突っぱねられ、仕方がないから成績の良い友達を選んで聞いたけど、そいつも分かってなかった。結局、先生の説明がわるいんだよ。

さらに、違う事でまた授業の後聞きに行ったけど、今度は私をからかってるんでしょ?と言われてしまい、ポッカーン。

また、辞書は学校において置くように言われているらしいのだが、家で勉強したいので、せめて土日に持って帰ってもいいかと聞いたところ、「ダメ。忘れる人がいるから。」だって。これじゃあ、何にも出来ないよ。何なんだよあのババア!とヒートアップ。

 

あ~あ。ヤバいぞ、ヤバいぞ。先生の言っている事に納得がいかずに反抗心がむき出しになっている。おそらく授業態度にも出ているのだろう…

仕方がないので、ホントにそのとうりだ。でも何か言ったところで、先生の方針は変わらない。授業は黙って聞いて、課題はきちんと出す。まずやる事をやらないと話を聞いてもらえないからね。今度は先生に『質問があるのですが、いつなら聞いてもよいですか』と聞いてみたら?と言ったのだが、もうあのババアには二度と質問しないつもりなんだそうだ。…仕方がない。ひとまず英語は自分で苦労して勉強するしかないね。

 

やはり、中学生を経験したママ友の言ったとおりなのかあと思った。

お兄ちゃんやお姉ちゃんの英語で苦労した人は、下の兄弟には小学校の頃から塾などでちゃんと対策を打っていた。中1英語のつまづきってコレだったのか…

 

それにしても、ママ友との会話のなかで、教育熱心な中学生の保護者は先生への要望や期待が少ないように感じた。もっと言えば、既に学校には失望しており、期待するものはない。先生は内申のほうだけお願いします。勉強は自己責任で家庭のほうでみますので。という感じ。

じゃあ、塾に行かないと落ちこぼれちゃうの?公立中学校って、そんなんで良いの?と投げかけると、仕方ないよ。先生の方だって勉強しない生徒ばかり相手にしてるんだから。だって、この辺の中学生なんてホントに勉強しないよ。中間だ、期末だって部活が休みになると、やったぁ、部活休みだ!って皆で遊びに行くんだから。普通、勉強でしょ。受験勉強だってろくにしないで、今の成績のまま入れる高校を受験する子ばっかりだよ。頑張って少しでもレベルの高い高校にいきたいなんて親も子も思ってないのよ。田舎ってそんなもんよ。これで都内の中高一貫校の子に太刀打ち出来るわけがないでしょ。

 

話が脱線してしまった。ママ友の大演説会はまだまだ続くのだが、「勉強なんてしなくたって別にいい」が多数派の田舎の中学生の中でいかに勉強していくかというのは大きな課題みたいだ。

これもまた、厄介な問題だ…。

 

 

 

母の子育てと私の子育て

母は茨城の農家の生まれで今年73歳になる。年寄りの世界ではまだまだ若手だ。

ありがたいことに今も元気で、出産後しばらくは何度も手伝いに来てもらい、私の孤独な育児生活の唯一の救いだった。

現在口うるさかった祖父が亡くなり、開放感たっぷりに元気に活動しており、たまに電話しても殆ど家にいない。

 

子育てに悩んだ時、いつの間にか思い浮かべているのは昔の母の姿だ。母も昔は若かった。

私は母に勉強をみてもらったことはない。

幼稚園の頃、寝る前に絵本を読んでもらったが、たいてい始めの1ページあたりでコックリコックリし始め、寝ぼけて「…園長先生が…むにゃむにゃ…」など言っていた。

ダラダラとロンパールームポンキッキといったTV番組をいつまでも見ていたけど、怒られなかった。

小学生の頃、勉強しろと言われた記憶もない。記憶にフィルターがかかっていて、少しは言われたのかもしれないけど、多分あまりうるさく言われたことは無い。

友達に影響されて何か習い事をやりたいと言えば、やらせてもらえた。ピアノは長続きしたが、そろばんや英語教室は嫌になってすぐ辞めたくなった。すると母は責めるふうでもなく、いつの間にかチャッチャと辞める手続きをしていた。

進路について何か言われた記憶もない。中学3年の時の大事な三者面談の時は、西田君のお母さんと同じスカートを履いてきてしまい、「もう、やんなっちゃう、やんなっちゃう」とそればかり言って終わったような気がする。

 

 そんな母も祖母に面倒をみてもらった記憶はないという。昔の農家の嫁というのは朝から晩まで働き、子供達の面倒をみるはもっぱら明治生まれの曾祖母の役割だったそうだ。

 母は勉強が好きだったらしく、小中学校の通信簿を見たことがあるが、私には眩しすぎる代物だった。でも、当時の農家の親というのは成績にはさして興味が無く、酒の席で思い出したように褒められる程度だったそうだ。

 そうえば、いつだか母が“普通の子供というのは好奇心が旺盛で、私のように言われなくても自然と勉強するものだと思っていた"と言っていた事がある。 やはり、私達への子育ては少し失敗したと思っているのかもしれない。

 

今、私は母とは全然違う子育てをしている。絵本の読み聞かせはそうとうしたし、小さい頃は毎日一緒について勉強した。TVやゲームも決してやりたいようにさせない。

  ただ、最近はそれが何?と思ったりする。多分あまり調子がよくないせいだ。上手くいっている人をみて、一時的にそんな気分になっているのかもしれない。

今、私を支えているのは幸せだった幼少時代の思い出だ。あの頃見た風景、沈丁花ユキヤナギの匂い。あの頃宝物だった絵本や折り紙、かわいいシール…

当時はまだ土曜日の午前中は学校があった。半日で帰ってきてからのお昼ごはんとケンちゃんチャコちゃんを見るのが楽しみだった。思い出してあの頃と同じようにお昼にナポリタンやしょうゆラーメン、チャーハンなどを作ったりする。

そういう取るに足らない日常を、私はこれからも忘れずに憶えているのだろう。そしてそれは好きなようにさせてくれた母のおかげだと思っている。

私は子供達が大人になった時そういう子供の頃の幸せな心の風景を残せるだろうか…もしかしたらアレやれ、コレやれ、かたずけろ、そんな風景しか残らなかもしれない。

 

人にはそれぞれ人生の課題がある。一生懸命勉強して自分の人生を切り開いて行く人生もあれば、経済的に恵まれていて、遊んでいても一生食いっぱくらないであろう人生もある。

うちはお金は残せないよ、その代わり知識とか技術を身につけるために、お金を使うよ。それが君らに残せる財産だ。なあんて上手いこと言ってるけど、はっきり言って土地でも残してくれるほうがありがたいよなあ…。

 

 今度実家に行ったら聞いてみようと思う。

お母さん、子育て中、なーにを考えていたんだろう…

 

こっそり『あっぱれ』をあげたケンカ

ここのところ、次男の問題と、更年期と思われる首から上のほてりと頭痛、それとも軽い熱中症?とも思われる症状に心身疲労状態。健康であるというのは大事なことだ。若い時はそれが当たり前だったけど。

若い頃といえば、昔は占いに右往左往していたものだ。今じゃ、ちょっとくらいついてなくても気にしない。ラッキーだらけの人生なんてある訳ないじゃん。アンラッキー?来るなら来いと思う。

きっと今週のおとめ座は絶不調なのだろうなぁ。知らないけど…まあ、そういう時もある。そんな時は慌てず、騒がず、黙っていればいいのだけのことだと思う。

 

そんなふうにぼんやりと考えていた矢先、「ただいま~」という冴えない声と共に、私にとってはちょっぴり、いや、けっこう嬉しいニュース。だけどやっぱりビミョーなニュースが玄関を開けて入ってきた。次男だ。

 

「ママ~。今日、ケンカした…」

「ほお~」…うわ~、めんどくさいな…

「…先生から電話かかってくるかも…」

「誰とケンカしたん?」

「…R君」

「!」

 

…なんだって!やったか。ついに。

「何、何?どうした~?まあ、いいや。手洗いうがいしてきて。冷凍庫のチューチューアイスあるから持ってきな。」

 

事の、あらましはこうだ。

例によってまたR君に仲間外れにされたN君を次男が大丈夫?と慰めていたところ、R君がやって来てつねってきた。次男は「ホントにやめて」と我慢できずにR君に蹴りを入れた。そして、反撃を避けるために廊下に逃走。

R君、追っかけて来て次男の背中をぶん殴って逃走。

次男、それをまた追っかけてぶん殴って逃走。

気の小さい者同士の殴っては逃げるという、ケンカになってないケンカというか、なんというか…

先生はいなかったけど、多分女子がチクっているからもうバレている。電話かかってくるからママよろしくという話。

 

とりあえず目立つ怪我はないらしい。私としては、この程度のケンカならお詫びもいらないだろう。多分、先生からの連絡も無いだろうと思い、ホッと胸を撫で下ろした。

 

そして…まあ、褒められた話じゃないけど、よく反撃したな、NOと言えて偉かったと言っておいた。ケンカして、相手に蹴りを入れたらお母さんから褒められたなんて、外で言うなと念をおしつつ…

 

さらに、もうカードゲームはやらないから売りに行きたい。無駄なものにお金をつかうの、もうやめた。連れて行ってほしいと言う。私もそうか、そうかとばかりに店に連れて行って、保護者の身元のサインをし、次男は430円をゲットした。

 

少しずつだが、成長してはいる。切らなきゃいけない人間関係もあるんだよ。大人の世界は。

 

 ちなみに、そのケンカの後日談がさらにダサい…

次男はサッカーもクラスも一緒で仲のよいS君に、

「きっとLINEでオレの悪口言ってくるから、言っていたら教えて」

と頼んだのだという。

…小さっ。ショボっ。教えて貰ってどうするんだよ…

 

「そんなの言わせておけばいいのに。だいたい聞いてどうすんのよ。で、LINEではアンタの悪口大会になっちゃったって? 」

「いや。Sがその前にR君のことブロックするって。」

ああ、それ賢いね。

揉めるのが分かっているのだから、小学生がLINEなどやらなきゃいいのに、と思う。

 

それにしても次男、ショボ…

でも一歩前進だ。

 

 

 

ヤンキー予備軍

夫がヤンキーあがりだというのは知っていたのだが、私達の世代は大して珍しいことでもなく、あまり気にしていなかった。

かく言うこの私も、中学生の頃のスカート丈は床上10cm、カバンもぺったんこだったが、非行少女というよりもそれはむしろそれはファッションで、そうでもなければダサくてあの時代生き抜けなかったという面もある。

小学校からの仲の良かったみいちゃんは、何が不満だったのか、中学に入ってからはゲームセンターに入り浸ってみたり、家出をして空き家に泊まり込んだり、万引きをしたりと、かなりお騒がせだったが、結局、今じゃ幸せなパート主婦で、今でも友達だ。

って、そんな事はどうでもいい。

夫はそんなヤンキーの中でも、一線を超えちゃったヤバイほうのヤンキーだったのを知ったのは何年か前だ。食べるのが妙に遅いのは気がついていた。その理由がシンナーの吸いすぎで奥歯が溶けるほどのヤンキー上りだったとは。…引きますよね。ごめんなさいと、何に対してか誰に対してか分からないが謝りたい気分だ。

 

そして、そんな夫の事もどうでもいい。

今夜、私は眠れそうにない。

次男の事ばかり考えている。

夜、次男が言うには、今日、公園(二駅先の大きな総合公園)から帰る途中、駅に立ち寄り、日陰で休憩してたら、夫に「何やってんだよ」と声を掛けられてびっくりした、とのこと。

今日は夫が休みで、夕方に駅近くの床屋に行った帰りにばったり次男と出くわしたというわけだ。

子供達が寝たあと、夫も言っていた。

「友達(R君)とアイスの自販機の前にいた次男に何やってんだよ、と声をかけたらビクッとしていた。横にいた奴、アイツは悪いな。目見りゃわかるよ。金もねえのに金使う所に出入りするような連中だよ。類は友を呼ぶんだよ。」

やめてよ、次男も同類なんて!などと言ったけど、私も分かっているのだ。だけど認めたくない。でも、次男はどんどん、どんどん、ほんとにどんどん悪くなっている。ヤンキーだった夫が言うだけあって妙に説得力がある。ショックだ。本当にショック。

 

次男が最近色んな事にヤル気を無くしているのも知っている。この前のヤル気のないサッカーの試合。責めた私に対して、どうせ、何やってもダメなんだよと、言った言葉。

勉強も、運動も出来る長男に対して、年子で体も長男より大きいのに何をやってもパッとしない次男。なんとか励まして成功体験を作ってあげたいけど上手くいかない。

いい子なのになあ。次男が自分を低く評価しているところがやるせない。食事や勉強習慣や生活面では厳しく躾てきたつもりだけど、今の次男には厳しさよりも理解が必要なのではないかという気はする。そして何より、諦めずに頑張ろうと努力する為の力が欲しい。でも、どうしてあげたら良いのかが分からない。

今日はこれ以上考えられそうにない。頭もぼーっとしている。もう、朝になっちゃう。明日が思いやられる…

とにかく、このまま次男を放ってはいられない。泥沼に片足をつけている次男を引っ張り出したい。このままでは、ヤンキーになってしまう。

また、明日考えよう。

自分はどうありたいのかという事を考える時間

下書きのまま、どうにも落としどころがなく放置していた記事です。

もや~っとしたまま書きます。

 

子供達の会話を見聞きしたり、ちいさな揉め事について聞かされた時、“うーん…どう言えば良いものかと困ってしまうような事例が多くなってきた。小さい時のように、「みんなで仲良く遊べばいいじゃないの。」ではとてもすまない。むしろ、もうあいつと関わるはやめろと言いたいくらいだ。

 

特に長男・次男などを見ていると、気の合う友達、お金を使う遊びが大好きな友達、ターゲットを決めていじめて遊ぶのが好きな友達、別に好きでもキライでもない奴、逆にあいつ、スゲー!とリスペクトしている友達など、色々な友達がいる中で、親にどうこう言われずに、自分は友達とどう関わっていくのかということを真剣に考えなきゃいけない時期なのではないかと思っている。それが子供のタイプによっては凄く難しい事で…とても歯痒い思いで見ている。

 

私が気に入らないのは、運の悪いことに次男がまたあのR君と同じクラスになってしまったことだ。観察する限り、次男の気持ちとしては、「Rとは一緒にいても楽しくないので避けているけど、いつもつきまとってくる。だけどクラス変えで力関係が変わって最近はあまり僕に嫌な事を言わなくなってきたから、ちょっと遊んでもいいかな。」といったところか。

 

クラスの中では仕方ないにしても放課後にまでわざわざ示し合わせて遊ぶことはないだろうにと思うのだが、この前はお金も持たずに自転車で数キロ先のショッピングモールまで行き、フードコートでカードゲームをし、今日は今日でおうちにお邪魔してカードゲームをしてきた。懲りずに『斎藤さん』もやってるかもしれない。おー、いやだ。

 

そもそも次男はあまりカードゲームに夢中にならない。カードゲームは頭も使うが、ある程度投資して強いカードを持たなければ勝てない。それ程カードを持っていない次男はなかなか勝てないので面白くないのだろう。適度な負け役として必要とされているのだろうと私はみている。

 

そもそも、R君とは興味も遊び方も違うのだ。低学年の時からそれはもう分かっている事なのだ。付き合うこと事態に無理があるだろうに、なぜついて行こうとするのだろう。

 

4·5年生の頃までは「やる事も終わっていないのに、遊ぶなんてダメ」だとか、「子供がいいようにお金を持って遊ぶんじゃない、お金持って行かなきゃいけないなら、遊ぶのはやめなさい」などと上から言って力で規制していたけど、最近はそんなふうに 言うことに虚しさを感じている。だってもう6年生だ。小さい子じゃあるまいし、R君と約束して帰ってくるということは、次男の選択した結果だとも言えるのだから。

今日も約束をしていると言うので、嫌な顔をしてやったら、

「じゃあ、いいよ。行かないから…」

と簡単に引き下がる。

「行きたいんでしょ?」

とカマをかけたら、ボソッと

「…行きたいに決まってんじゃん…」

と言う。なーんだ、行きたいんじゃない。ダメだ、こりゃ。と思った。ではご自由に。行きたいと思うなら行きなさい。

 昔の人は良く言ったものだ。『類は友を呼ぶ』。つまりあの子はR君と同類なのだ。

友達とは何か。人から信頼される人間とはどういう人なのか。自分はどういう人間でありたいのか。小6ならぱそういう事を考えはじめてもいいだろうに…

 

R君は何を抱えているのだろうと思う。

R君の家は昔から商売をしている家で、お母さんは商売人らしく、とても気さくで口の固い人だ。

R君のお金の出どころはあの店で絶対権力を握るおばあちゃんだ。孫かわいさに、ほら冷たいの買っておいでと店のレジから1000円札を渡すのを見た事がある。R君のお母さんはおばあちゃんの後ろでいつもニコニコしている。お母さんに言わせるとR君はメンタルが弱いけど優しい子。私の印象とはだいぶ違う。見えてないなと思うけど、責める気になれない。あの店の中で絶対権力のおばあちゃんに従い、出戻りの義妹の子供の世話もさせられ、苦労は如何ばかりだろうと思う。

 

以下はもし、次男が私の話を真剣に聞く気があるのなら話したいこと。またお説教が始まったと思うのであれば、意味がないので言わずにいよう。だから多分お蔵入りの話。

 

  皆で仲良く=皆にあわせた言動をするべきだと考える事は、例えば、スポーツ競技や会社だったら、勝つとか、儲けるといった共通の目的がある時は有効だよね。サッカーでは集団行動は大事だよね。でも集団は時々危険な方向に向かうことがあるので気をつけなければいけないんだよ。

集団は皆と同じように考えられない人を排除したり、序列を作りたがる事がある。

本当はあまり気がのらないと思う事でも思考停止。皆に同調して行動してしまうことがあるよね。だってそのほうがラクだし安心だからね。

 

小さい時、よくみんなが持ってるから買ってといったね。だから私はよく言ったでしょ。君が欲しいのではなくて、他の皆が欲しいものを何でうちがお金を出さなくちゃいけないの?

悪い事をして怒ると、だって皆もやってるよ。と言い訳したら、じゃ皆がウンコ食べてたら、アンタも食べるんだね?これもよく言ったよね。

 

皆が遊んでいても、自分は勉強しなきゃいけないなら勉強する。サッカー練したいならサッカー練をする。これからはそういうことが大事になってくるよ。

皆が誰かの心を傷つける楽しい遊びをしていて、自分は違うな、嫌だな、やりたくないなと思うならば、やめろと言おう。あんたの場合、言う勇気がないんだろうから加わらない。関わらない。…それなら出来るでしょ。

 

他人との関係の中で立ち止まって、自分はどう考えるのか、自分はどうありたいのかという事を考える時間は絶対に必要だと思うよ。

皆といる時間も大事だけど、一人で考えて一人で行動することも同じくらい大事だよ。『ぼっち』はむしろカッコイイと私は思う。

 

毎日、毎日友達と遊んでいるけど、楽しそうでいいと思う。友達がたくさんいるというのも素晴らしい事だと思う。ただ、少しの間、落ち着いて一人で考えてもいいのではないかい?ずーっとじゃなくていいから。

 

…届かない。

子育ては悩ましい。あの子にはどういう働きかけが良いのだろうか。深イイ話のマンガでも買って読ませようか…。