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雨のち晴れ

40代主婦の考え事・いろいろ

自分はどうありたいのかという事を考える時間

下書きのまま、どうにも落としどころがなく放置していた記事です。

もや~っとしたまま書きます。

 

子供達の会話を見聞きしたり、ちいさな揉め事について聞かされた時、“うーん…どう言えば良いものかと困ってしまうような事例が多くなってきた。小さい時のように、「みんなで仲良く遊べばいいじゃないの。」ではとてもすまない。むしろ、もうあいつと関わるはやめろと言いたいくらいだ。

 

特に長男・次男などを見ていると、気の合う友達、お金を使う遊びが大好きな友達、ターゲットを決めていじめて遊ぶのが好きな友達、別に好きでもキライでもない奴、逆にあいつ、スゲー!とリスペクトしている友達など、色々な友達がいる中で、親にどうこう言われずに、自分は友達とどう関わっていくのかということを真剣に考えなきゃいけない時期なのではないかと思っている。それが子供のタイプによっては凄く難しい事で…とても歯痒い思いで見ている。

 

私が気に入らないのは、運の悪いことに次男がまたあのR君と同じクラスになってしまったことだ。観察する限り、次男の気持ちとしては、「Rとは一緒にいても楽しくないので避けているけど、いつもつきまとってくる。だけどクラス変えで力関係が変わって最近はあまり僕に嫌な事を言わなくなってきたから、ちょっと遊んでもいいかな。」といったところか。

 

クラスの中では仕方ないにしても放課後にまでわざわざ示し合わせて遊ぶことはないだろうにと思うのだが、この前はお金も持たずに自転車で数キロ先のショッピングモールまで行き、フードコートでカードゲームをし、今日は今日でおうちにお邪魔してカードゲームをしてきた。懲りずに『斎藤さん』もやってるかもしれない。おー、いやだ。

 

そもそも次男はあまりカードゲームに夢中にならない。カードゲームは頭も使うが、ある程度投資して強いカードを持たなければ勝てない。それ程カードを持っていない次男はなかなか勝てないので面白くないのだろう。適度な負け役として必要とされているのだろうと私はみている。

 

そもそも、R君とは興味も遊び方も違うのだ。低学年の時からそれはもう分かっている事なのだ。付き合うこと事態に無理があるだろうに、なぜついて行こうとするのだろう。

 

4·5年生の頃までは「やる事も終わっていないのに、遊ぶなんてダメ」だとか、「子供がいいようにお金を持って遊ぶんじゃない、お金持って行かなきゃいけないなら、遊ぶのはやめなさい」などと上から言って力で規制していたけど、最近はそんなふうに 言うことに虚しさを感じている。だってもう6年生だ。小さい子じゃあるまいし、R君と約束して帰ってくるということは、次男の選択した結果だとも言えるのだから。

今日も約束をしていると言うので、嫌な顔をしてやったら、

「じゃあ、いいよ。行かないから…」

と簡単に引き下がる。

「行きたいんでしょ?」

とカマをかけたら、ボソッと

「…行きたいに決まってんじゃん…」

と言う。なーんだ、行きたいんじゃない。ダメだ、こりゃ。と思った。ではご自由に。行きたいと思うなら行きなさい。

 昔の人は良く言ったものだ。『類は友を呼ぶ』。つまりあの子はR君と同類なのだ。

友達とは何か。人から信頼される人間とはどういう人なのか。自分はどういう人間でありたいのか。小6ならぱそういう事を考えはじめてもいいだろうに…

 

R君は何を抱えているのだろうと思う。

R君の家は昔から商売をしている家で、お母さんは商売人らしく、とても気さくで口の固い人だ。

R君のお金の出どころはあの店で絶対権力を握るおばあちゃんだ。孫かわいさに、ほら冷たいの買っておいでと店のレジから1000円札を渡すのを見た事がある。R君のお母さんはおばあちゃんの後ろでいつもニコニコしている。お母さんに言わせるとR君はメンタルが弱いけど優しい子。私の印象とはだいぶ違う。見えてないなと思うけど、責める気になれない。あの店の中で絶対権力のおばあちゃんに従い、出戻りの義妹の子供の世話もさせられ、苦労は如何ばかりだろうと思う。

 

以下はもし、次男が私の話を真剣に聞く気があるのなら話したいこと。またお説教が始まったと思うのであれば、意味がないので言わずにいよう。だから多分お蔵入りの話。

 

  皆で仲良く=皆にあわせた言動をするべきだと考える事は、例えば、スポーツ競技や会社だったら、勝つとか、儲けるといった共通の目的がある時は有効だよね。サッカーでは集団行動は大事だよね。でも集団は時々危険な方向に向かうことがあるので気をつけなければいけないんだよ。

集団は皆と同じように考えられない人を排除したり、序列を作りたがる事がある。

本当はあまり気がのらないと思う事でも思考停止。皆に同調して行動してしまうことがあるよね。だってそのほうがラクだし安心だからね。

 

小さい時、よくみんなが持ってるから買ってといったね。だから私はよく言ったでしょ。君が欲しいのではなくて、他の皆が欲しいものを何でうちがお金を出さなくちゃいけないの?

悪い事をして怒ると、だって皆もやってるよ。と言い訳したら、じゃ皆がウンコ食べてたら、アンタも食べるんだね?これもよく言ったよね。

 

皆が遊んでいても、自分は勉強しなきゃいけないなら勉強する。サッカー練したいならサッカー練をする。これからはそういうことが大事になってくるよ。

皆が誰かの心を傷つける楽しい遊びをしていて、自分は違うな、嫌だな、やりたくないなと思うならば、やめろと言おう。あんたの場合、言う勇気がないんだろうから加わらない。関わらない。…それなら出来るでしょ。

 

他人との関係の中で立ち止まって、自分はどう考えるのか、自分はどうありたいのかという事を考える時間は絶対に必要だと思うよ。

皆といる時間も大事だけど、一人で考えて一人で行動することも同じくらい大事だよ。『ぼっち』はむしろカッコイイと私は思う。

 

毎日、毎日友達と遊んでいるけど、楽しそうでいいと思う。友達がたくさんいるというのも素晴らしい事だと思う。ただ、少しの間、落ち着いて一人で考えてもいいのではないかい?ずーっとじゃなくていいから。

 

…届かない。

子育ては悩ましい。あの子にはどういう働きかけが良いのだろうか。深イイ話のマンガでも買って読ませようか…。

 

 

 

子供を見守るという忍耐

自分のなかでこれを言ったり、やったりしてしまったらダメな親だよなあといういくつかの事があるが、コントロールがきかずに「あ~、言っちゃった」と思う時がある。

 

ゴールデンウイーク中の次男のサッカーの試合での様子は残念すぎた。あぁ、残念な息子。残念無念冷そーめん。疲れ倍増計画。長い目で見守ろうと思ってはいたけれど、我慢できなかった。何故、諦める、ボール取られたら取り返せ、1対1の練習、真剣にしてんの?つーか、サッカーむいてないんじゃん、もうやる気ないなら辞めろ、ぐちぐち帰りの車の中で吐き捨てた。

ヤバイな。これではグランドの横で息子を怒鳴り散らしているチチローもどきと一緒ではないか…私、病んでるなと思う。

 

そんな時、もっと精神的にも時間的にも金銭的にもゆとりがあれば、大きな気持ちで子供の成長を見守れるのではないかと思い立ち、自分の中のほんの小さな幸せタイムを作ろうとコンビニのデザートコーナーを物色したりする。

 そして…完食しておいてなんだけど…でも、それだけじゃ根本は解決しないんだよな、考えなくては。とう思いに至る。

 

兄弟の中で次男はおとなしい。1歩引いて空気を読むところがある。ぼーっとしているところがイライラする。でも、次男はかわいい。そしてなぜか癒される。

 

こんなこと言ったら怒られそうだし、自分でも認めたくない気持ちもあるので本当に誰にも言っていないのだが、もしかしたら次男は私が24の時に死んでしまった猫のチャト君の生まれ変わりなのではないかと思っている。

チャト君が死んだ時、私は悲しくて悲しくて、チャト君の亡骸に向かって言ったのだ。絶対に私の息子に生まれ変わってまた会おうね、絶対に生まれてきてよと。

次男が生まれて大きくなるにつれ雰囲気がチャト君に似ていると思う事がある。目、肉厚のほっぺ、おとなしい性格、すぐ何処かへ行っちゃうところ…ダメだ。やはり猫の生まれ変わりだなんて。次男が猫の脳みそくらいしかないみたいだ。バカっぽくてよろしくない。この想像はやめよう。

 

 焦ってはいけない。本来、子供は自分で成長する力を持っているはず。それに 別にJリーガーになってほしい訳では無い。私はただ、幸せに生き抜いてほしいだけなのだ。なんなのだろう、この欲は。このこだわりは。

 

…多分このイライラは、次男が残念なところを見るのが不憫で許せないというところからくるものなのだろう。サッカーがヘタレな事くらいで不幸になるわけじゃないのに。冷静にならなくては。

 

子供の成長を見守るってのは忍耐がいる。

とくになかなか伸びない子供は。

 

 

 

長男の中学校生活模様

長男は中学生になってからどういう風に勉強を進めていけばよいのか分からず不安みたいだ。このところ「英語やべぇ、英語やべぇ」を連発している。そう。長男にとって最も焦りを感じているのは英語だ。小学生の頃は家のほうでは何もやっていなかった。ところが周りは小学生の頃から英語塾に通っている子が意外と多く、みんなが分かっている事を自分は始めて知るという状況。先生も「これはもう知ってるよね、はい、進みます。」という雰囲気らしい。

 

昨夜は珍しく、Z会の勉強計画たてるのを一緒に見てくれと頼ってきた。勉強の進め方のガイドをみながら一ヶ月の計画が目に見えるようになると、ああ、こんな感じかと納得出来たようだ。まずはこれで一学期はやってみて、違うな~というところは変えていけばいいじゃん、という事でいくことにした。

 

この前の懇談会では、担任の先生が、「『小学生の頃と同じ勉強量じゃだめだぞ。中間や期末テストがあり、勉強しなくちゃいけない範囲が増える。』という話をしました。」と話していた。

ただ、中間テストとはどんなものか、実際に受けてみなくちゃ多分ピンとこないだろう。何でもやってみないとわからない。

 

 部活も始まった。朝練や放課後練、ゴールデンウィークも連日試合など、結構ハードだ。小学生の頃かなり走り込まされてきたから大丈夫だろうと思っていたけど、そんな甘くはなかったみたいだ。毎日ヘロヘロになって帰ってくる。

それでも夕方帰ってきてからと早朝に勉強の時間を作っているので、とりあえず今は 何も言うつもりはない。ただ、気をつけて見てないとそれこそヤバイ状況に落ちいるのではないかと思っている。未熟な思春期にあまりに部活がハードだと、体力的には勿論だけど精神的にも家で勉強する余力など残らないのだ。悪い例が中高時代のこの私で、大学も浪人させてもらってやっとこ入ったのだ。うちには浪人させる余裕はない。

 

文武両道を実践しようと思ったら、最低でも 小さい頃からの勉強習慣ながくては厳しいのではないかと思う。部活を続けたいのであれば、どんなに疲れていてもご飯を食べ、歯磨きをすることと同様に机に向かうようでなければ。

色々な方が言うように、私もまた子供レベルの勉強が出来る・出来ないの差はやったかやらないかの差だと思っている。疲れているからというのは今日の勉強をやらない理由にならないよ、というのは繰り返し言ってきた。

 

そこで、悩ましいのは次男、三男だ。次男は自分のわからない所、弱い所を補充する作業をしないで、ぼーっとしているし、3男は考え抜く力、やり抜く力がない。今のような感覚で勉強をしているようでは中学校生活を乗り切れないだろう。本題とズレるのでこの事はまたの機会に書きたい。

 

その他、長男の機嫌の良さそうな時にクラス内での出来事を聞き出すのが楽しい。この前もM君が好きな人をバラされたバラしてないで女子ともみあいになり、引っ掻いて泣かしてしまったなんて話を聞いて、人の秘密をばらすのは最悪だけど、引っ掻いちゃダメだろう。どうしたら引っ掻くという事態になるんだろうと想像したら思わず笑ってしまった。

いやいや、笑い事ではない。凄いなあと思うのは先生方の対応の早さだ。ちょっと何かあると部活中に呼び出して面談している。中学の先生も大変だ。

 

スマホはとりあえず要らないみたいだ。そもそも「どうせ買ってくれる気ないんでしょ。」と買ってくれと言ってこない。親友のS君が脳天気にLINEデビューした途端、"入ってくんな”だとか"うぜー”だとか書かれてしまい、すっかりショボくれてしまったという一件も影響しているようだ。

LINEは便利なようで、難しい。人間関係の築き方、距離のおき方、口の聞き方、そういうものに細心の注意を払わないと地雷を踏みかねない。

面倒臭いので取り敢えずは要があったら電話するという事でいいらしい。

私としてはホッとしている。

 

 

 

 

 

 

 

中学生のスマホと生活習慣

子どもが高学年・中学生ともなると、段々とスマホを持つ子が出てきて、最近、お母さん達のあいだでも、「あ、そうだ、スマホどーした?スマホ?」とにわかに色めきだっている。

ちょっと前までは、「だいたい中学生にスマホなんて必要ないっしょ。電車に乗って遠くの学校に行くわけじゃないんだから。要があるなら電話すりゃいいじゃん。それか、ピンポンすりゃいいでしょ。」というのが私達の多方の意見だった。

 

このあたりは地元の中学校に通う子が殆どで、しかも、中学校は小学校とそっくりそのまま同じ学区なのだ。エスカレーター式 の附属小学校なのよん!なんて冗談を言ってる人もいる。中学校にいっても言わば7回目のクラス替えで、変わり映えしないメンバーと机を並べる。そんなふうなので、誰が何処に住んでいるのかくらいはもうざっくり知っているのだ。

こんな田舎ならではの背景が後押ししているのか、以前はスマホ要らない派の親が多かったように思う。

 

風向きが変わってきたのは小学校卒業前後、中学校の情報がさかんに入ってくる頃だった。上に兄弟がいる子達がチラホラとスマホを持つようになってきた。

 聞くと、要はLINEが必要なのだという。

*部活の連絡はほぼLINEで行っており、LINEがないと連絡漏れが発生する。

*中学生はLINEをメインで使うので格安スマホで充分。月額2千円位で済むなら買ってもいい。

*結局、何かにつけ皆がLINEで連絡をとるので、ないじゃ済まない。

…等々の理由で購入を決めている。

 

 先頭きってスマホは要らないと言っていたママも、昨年の秋くらいから買って買って攻撃にあい、子供と毎晩口論していたが、とうとう根負けして、この春買ってしまった。

毎晩のバトルを見るに見かねたばあちゃんが、「こんだけ言ってるんだから、もう買ってやり~」と言い、私も疲れた…もう、この戦いに終止符を打とう、と白旗をあげたのだった。

 

スマホを持つことで私が最も懸念するのは、生活習慣の乱れだ。私でさえもちょこっとロバート秋山のクリエイターズファイルを見るつもりが、うっかりするとあっという間に30分がたってしまう。LINEがピロロンすれば、やはり気になってすぐに見てしまう。

 

 勉強が出来る事で有名な次男の友達の高1のお兄ちゃんは成績が伸び悩んだ中3の夏、「オレ、どうしても見ちゃうから、お母さん受験終わるまで預かってて。」と言って自分からスマホを差し出したそうだ。あんなに勉強が出来る子さえ、スマホの魅力には勝てないんだよなぁ…

長男に至っては、「調べたいものがあるからママのスマホかしてよ」と言って、「いーよー」と貸したはいいけど、あれ?そういえば長いこと戻ってこない。見に行くと、ついでに見てみたおもしろ動画をすっかり見入っていたという一件。

また、春休み、ちゅうぶらりんなのをいいことに、一日中、ダラダラとPSPYouTubeを見ていても全然平気なんだという一件。

これらを 考え合わせると、なおさらスマホは中学生の本分である勉強に支障が出ることは間違いはないと思っている。

 

現在、お兄ちゃんが県内でトップの県立高校に進学したママもまた、生活習慣の乱れを懸念してスマホを買い与えなかった。

「持ちたがらなかった?部活の連絡はどうしてた?」と聞いたらこれがまた壮絶だった。当時、数名の部員が「親のメールに連絡」としていた。だけどある日、連絡漏れのため、部活を遅刻した事があり、「だからスマホを買ってくれと言ったじゃないか」とお兄ちゃんが激怒。それならばみていろと、学校に乗り込んで「学校ではLINEをしていない生徒は部活をまともに出来ないのか。そんなのおかしいだろう」と、先生に1発文句を言ったのだという。

ビビりの私は、「え~、それ、私出来ないよ~」と思わず言ってしまったのだが、スマホを持たせないためには、その位強い親の意思がないとダメなのだそうだ。

体育祭のあとクラスで打ち上げと称して遊びに行くのにも、LINEをしていない数名は誘い忘れられてしまい、行けずに恨まれた。

それでも、今自分は何が大事なのか。そんなにあの高校に行きたいならば、今、何をやらなければならないのか、繰り返し話し合ったのだと彼女は熱く語った。

 

 うーん。うちはどうしようかな…。

やはり本音は持たせたくはない。中学校を卒業するまでは我慢させたい。でもまあ、まずは部活の説明会で話を聞いてから判断してもよい。使わせるならばルールを決めないと…

 

中学生のスマホのルールについて書かれた記事がある。親の本気度がひしひしと伝わってくる。将来スマホ使わせる際は、そっくりそのまま、契約書をつくって真似したいと思っている。小島さん、ありがとう。

 

 

中学生 スマホ利用のルール / 契約書を交わしました! - 適当男子サトシを6年から矯正!プラス日々思う事

 使わせるにしても、がまんさせるにしても、

親の本気度が鍵のようだ。

全く、ラクして子供は育てられないよなあ。

 

 

 

落ち着かない4月と、最近の世の中に対して思う事。

毎年の事だけど、どうも4月って落ち着かない。

各学年から集金の嵐。今月はPTA会費も引き落とされるんだったわ。次男の修学旅行代金も納めなきゃ。5月に控えている自動車税、固定資産税。あれ!中学生って給食費上がるんだわ…そりゃ、食べるもんね。仕方ないか。等々。

夫、オレの靴下の中が砂だらけ!子供の洗濯物と一緒に洗うなとキレる…どうもすみませんでしたね。トイレ掃除しろよ。あんたホントに家事が嫌いだよな。…一番汚す人は誰だよ!って思う。

 

そんなこんなで4日前に餃子を焼いていている時火傷をしてしまった。フライパンの蓋を開けて、置くところがないと焦りつつ、変な置き方をしたら手の甲に触ってしまった。この歳で火傷ってイタイ。多分、シミになって残るなあ、と思っいる。

ちなみに餃子には自信がある。今は試行錯誤の上、一定の作り方に落ち着いている。白菜を使うのが一番気に入っているのだが、今回の春キャベツも良かった。ここでレシピをご紹介出来ないのが残念だ。何しろ調味料がテキトーなもんで。ポイントは、肉をクリーム状になるまで練ること。餃子に限らず全てのお肉は常温に戻してから焼くとしっとりした肉が食べられると思っている。

 

ところで、最近、ギスギスしていて本当に嫌な世の中だと感じている。ブログの中でさえも、ちょっと言いたい事を言うと袋叩きにあい、過去記事を非公開にせざるを得ないような事態をみると残念でならない。

 

何日か前の朝日新聞の記事から、グッとくるものがあったので、残しておこうと思う。

【折々のことば】鷲田 清一

理解し合えるはずだという前提に立つと、少しでも理解出来ないことがあった時に、事態はうまくいかなくなる。

                                                          村上龍

対話は、他人と同じく考え、同じ気持ちになるためになされると考えると、いづれかが理解を断念したとき、対話は閉じられる。理解できなくてあたりまえ、むしろ、語りあえば語りあうほど相手と自分との違いがより微細に見えてくる、それを対話だと考えれば、理解しえずとも共にいられる場所は少し広がる。

小説「ラブ&ポップ」から。

 

 そもそも、私達は違うモノの見方をするのだ。ブログの中だろうと、実際の人間関係であろうと。

目の前にいるあなたとこの私が同じ考えではないからといって、それは大した事ではない。あたりまえのことなのだ。それを大人気なく誹謗中傷したり、影でコソコソと悪口を言ったりするのは、全くもって幼稚な行為だといえる。そんな大人の在り方が子供達の世界にまで反映し、いじめという醜い形で現れているのではないか。

 

自分の考えを躊躇なく言う事ができ、それに対して、「そうなんだ~、でも私はこう考えるけどね」と相手が言う。そこで、「ああ、そういう視点もあったのね」と言える風通しの良い社会であってほしい。“あの人は○○な人だから。あの人は違うから"とシャッターを閉めずに。

 

ご存知のとおり、私は日本を動かす重要人物ではない。ただのおばさんだ。でも、忘れてならないのは、身近な場面で言ったりやったりする、ほんのささいな行為でさえも、今の世の中を形作る駒の一つに変わりはないということ。

気がついたらとんでもないことになっていて、「こんな世の中に誰がした?!」と若者に問われたら、「申し訳ありません、私です。」と答えるしかないのだ。

 

社会を形成する責任ある大人の一人だという事を自覚して行動しようとの思いを強くしている2017春。

 

 

 

 

入学式。来賓の挨拶。

「一同起立」…親も立つ…

「国歌斉唱」…うわ~、私達の世代って国家歌えないんだよね…

「生徒起立」…親はすわってていいのね…

「皆さんはもう児童ではなく、生徒です」…あ、そっか~!

 

そういえば私、多分毎日一回位は考えるというか、思い浮かべる事がある。

それは「機嫌の悪い人」についてのお話。

 

6 ·7年位前だったか、おつき合いで心理カウンセラーの先生の講演会に行き、聞いてきた話で、うる覚えなのだけど、たしか、「ある学者の論文で、機嫌の悪い人と一緒にいるとガンになって早死するという事が証明されているんですよ。だから、機嫌の悪い人と同じ部屋に居てはいけませんよ。」という内容だったと思う。

 

私は夫に機嫌の悪い態度をとられる度にそれを思い出してしまうのだ。

あ、今のでがん細胞1個出来たな、と思う。でも、相手は私が何をした理由でもないのに勝手に私のせいにして機嫌が悪くなっているのだから、気にしないようにしようと考え直して気持ちを切り替える。

そして、TVを見て笑ったりすると、あ、これでさっきのガン細胞消えたからチャラになった。などと考える。くだらないんだけどね…

 

「一年生の皆さんは期待と不安で胸がいっぱいの事とおもいます」

…ホントだあ〜ね~。

 

春。私の最近の目標としては、自分の機嫌が良くなる事をどんどんやっていこうと思っている。そうです。目標に向かってガンバるのは中学生だけではありません。オバサンもまた、目標に向かって日々鍛錬するのです。

 

ようは、好きな事とか、やりたい事を積極的にやっていこうという事だ。結婚以来、自分の好きな事というのは優先順位の下の方だったからそれを上げてみよう。

 

さてと、まずは手始めにずーっとやりたかったアレをやろう!「うわーやだ、気持ち悪い」と言われそうなのでお隣にすまして座っているママ友には言えない。

実は、私は耳垢とりとか、かさぶた剥がしが大好きなのだ。でも子供達の耳垢は一回取ればそうそう溜まらないし、最近は膝を擦りむいてもカサブタにしないで治す絆創膏のほうが治りが早いので、そちらを使っている。欲求不満だぁ~!

 

そんな私にピッタリな商品が、足裏角質とりパックだ。なんでも、恥ずかしくて人に見せられない程、足裏の皮がベロンベロン剥けるらしい。私はずっとこれに憧れていたのだった。一昨日、試しに近所のドラッグストアでないか聞いてみたらAmazonと同じ値段なので、勇気を出して買ってしまった。1,780円。

今日お風呂の後やってみるつもりだ。2~7日後に剥けてくるという、足の皮むきが楽しみだ。イヒヒヒ♡

 

なーんて事を長男の入学式の長い来賓の挨拶の間ずっと考えていた。

バカな親だな…。

 

「新入生、退場!」

 

 

 

 

 

スポ少について親が知っておいたほうが良いと思う事。

この春、子供にスポ少はどうかをと考えている方もいるのではないかと思う。

 今回は、スポ少に入ろうと考えている人の為に、ここ何年かの経験を通して感じていることをまじめに書いてみようと思っている。少しでもお役にたてば、と思う。(以前スポ少について書いたものがあまりにテキトーだったので反省してます)

 

 

スポ少の目的や成り立ち

スポ少は、子供達にスポーツをする喜びを知ってもらったり、スポーツを通して健全な心と体を育てる事を目的としている。

主となるスポーツ以外に、豊かな人間形成の為に文化・野外活動やレクリエーションをする事もある。その他、地域との繋がりも重視していて、地域活動に参加したりもする。

 活動は地域の人や保護者の無償の協力で成り立っている。地域の人というのは元保護者や、元団員というところが多い。

 たいてい団費(習い事でいうなら月謝)は運営費や試合への参加費、スポーツ保険などに当てられ、基本的に指導者への指導料は含まれない。

運営は PTAと同じような形で父母会が組織され、役員を置いて、団員への連絡、会計、使用施設の手配、道具の管理など活動に必要な様々なお手伝いをしている。

 

スポ少の活動が、任意の協力の上で成り立つという性質上、活動には保護者による様々なサポートが必要となる。それを円滑にすすめるために保護者同士の決め事があり、話し合いも発生する。そこをよく理解しないで入ると、苦痛に感じてしまうかもしれない。

 

 

 スポ少に入る前に確認しておきたいこと。

スポ少はこのような成り立ちをしているので、入団の際は子供だけではなく親も陰ながら活動に参加するという意識を持たないと継続は難しい。なので、親にどの程度の協力を求められるのかというところは、入団を考える時、避けられないポイントだといえる。

 

 ①保護者の協力をどの程度要求されるのかを確認する。

たいていのスポ少はホームページをもっているので、活動方針やスケジュールなどを見る事ができる。でも具体的に「保護者の協力をどの程度必要とするのか」といった時間的な制約を載せているスポ少は殆どない。

 何故だろうと、うちのスポ少の場合で考えてみると答えはすぐに出る。 流動的なので載せにくいのだ。チームの人数によって、保護者の負担も変わるし(当然人数が多い程、負担が分散される)シーズンによっても違う。 低学年と高学年でも全く違う。

そのあたりの事は実際入団している保護者に聞いてみるのが1番よい。知り合いがいない時はホームページ上の問い合わせフォームなどがあれば、そこから問い合わせてみるのも良いかもしれない。また、どのスポ少でも見学や体験入団を設けていると思うので、参加した際に聞いてみるのも手だ。

土日に仕事が入り、協力出来ない事もあるが、可能か?小さな子供を連れての当番は可能か?車の運転に自信がないけれど、どのくらいの距離を運転するのか? など、不安な点は入団前に確認しておきたい。

 

②そのスポ少の保護者の意識の高さに注目

冒頭でスポ少はスポーツを通しての子供の心身の育成を目的とするとは言ったものの、実際は一括りにそう言えるものでもない。保護者の意向が反映され、同じスポーツでも団体の個性が出る。

 

上達させたい、勝たせたいという意識の強い保護者は、試合はおろか、練習も見学し、家に帰ってから子供との自主練も厭わない。

熱心な保護者が多ければ、子供達のために、団のためにと、あれもこれもと協力したい事が増えていくものだ。

もっとも、うちの団の場合は、保護者の過剰な協力には待ったをかけている。行き過ぎはトラブルの元となるし、保護者の負担が大きすぎると対応出来ない親は居づらくなる。団の存続にも関わるという、監督の判断によるものだ。

 

熱心な保護者の子供は上達する。一方、あまり熱心すぎるのはどうも…と考える保護者もいる。この保護者間の温度差が厄介で、どちらが良いとも悪いとも言えない。親の価値観だと思う。

上手くやっていく為には、双方がお互いの考え方を認める事だ。熱心な保護者は、それぞれの家庭に事情があり、誰もが同じように積極的に関われる訳ではないという事を理解しなければならないし、距離をおきたい保護者も、可能な限りのお手伝いはやる姿勢を示し、時間が許す限りは子供の様子を見に足を運んだほうがよいと思う。

 いずれにしても、知り合いに聞いたり、見学や体験に参加した際は保護者の雰囲気も観察しておきたい。

 

③指導方針・チーム運営状況を確認

親の視点の事ばかり挙げてきたが、最も重要なのは、子供のためになるか、その子に向いているかどうかという点だ。

 まずは、子供達がそのスポーツを楽しみながらやる事が出来ているかよく観ておきたい。

とりあえず体力作りの為にスポーツをやりたい、お友達作りに、という子にはどんなスポ少でも向いている。それこそがスポ少の理念なのだから。

 言うまでもないが、少年団でも強豪と言われるチームは競走も激しい。試合や遠征も多く、その分費用もかかるが、負けず嫌いでやる気がある子は相乗効果でどんどん伸びる。

チームの運営状況を見る際は、指導が行き届き、挨拶・整理整頓などの躾は出来ているか。コーチは子供のスポーツマン精神に反するような行為を容認してはいないか。高学年は練習に集中出来ているか。などの点に着目すればよい。低学年はどこも似たようなもので出来なくても仕方が無い部分もあるが、高学年はチームの顔。自分の子供が低学年でも高学年の様子を見てみると分かりやすい。

 そして最終的には、自分の教育方針で大事にしている部分と照らし合わせて、親が納得できる指導をしていれば良いと思う。

 

スポ少に入団したら、心掛けておきたいこと。

スポ少での保護者間のトラブルについての投稿をみると、難しいなあと思う。せっかく入ったのだから、親子で気分良く活動したいものだ。実践していてこれならば比較的上手くいっているのではないかと思う事などをいくつか挙げてみようと思う。

 

①指導者に不満があっても文句を言わない

保護者はコーチのチーム運営に口を出さない。コーチはコーチなりに考えて指導しているので、まずはお任せして見守る姿勢が大事。

勝ちにこだわる保護者が下手な子供も平等に試合に出すコーチに文句を言ったり、保護者同士で不満を漏らす事。逆になかなか試合に出して貰えないので文句を言うなどは論外。

これは、初めて入団した際、父母会の心得としてお世話役のお母さんから聞いた事だ。

問題意識をもち、少しでも良くしたいという気持ちは分かる。でも、本当に問題があるならば、役員を通して団の代表者に任せたほうが良い。

 

 

②「?」と思う事もまずは様子を見る。

お母さん達がお揃いのTシャツを着ているのに違和感を感じたり、監督、コーチへのお茶出しに対して何で?と思う事もあるかもしれない。

私達はTシャツを揃えていなし、コーチは自分の給水は自分で用意する事になっているのだけど、まあ、理解できる。

ハッキリ言って、スポ少のお手伝いはキツイ。でも、そのキツさを一緒に乗り越えてきたお母さん達は、戦友のような感覚になったりもする。きっとTシャツは私達もガンバって応援しよー!という気持ちの現れなのだろう。

お茶出しに関しては、せっかくの休みに炎天下に出て来て、審判をしてくれて申し訳ない、と思んばかっての事なのだと思う。そこは、いつもすみませんね。来週もお願いしますよ。と忖度しているのだ。実際、私も寒い日にコーチに熱いコーヒーどうですかぁ?なんて声をかける。

活動する中で、なんでそんな決まりや慣習があるのだろう?と思う事もあるかもしれないが、それは代々の保護者が試行錯誤の上、話し合って決めた事なのかもしれない。もちろん状況が変わり、改革したほうがよい事もあるだろう。それでもとりあえずは、ベテランのお母さんにこれってどういう意味があってやっているの?と聞くに留めて置いた方が無難だ。

 

③試合では自分の子供はもちろんだが、チーム全体を応援するという気持ちで。

たとえ自分の子供がレギュラーでなくても、当番は回ってくる。ここで、ああ、私は朝早くから何のために?なんて虚しい気持ちになっていたらスポ少はやってられない。

育成過程において、試合に出してもらえず、悔しかったり、つまらなかったりする気持ちを経験するのも勉強、上手な子のプレーを見るのも勉強、と考えて、試合はチームの子供全体を応援するという気持ちで臨みたい。

 

 上手でレギュラーの子供の親と、なかなか芽の出ない子供の親との間での確執に悩む投稿も読んだが、保護者はチーム全ての子供を応援するというスタンスがあれば解決出来るのではないかと思う。

低学年の頃は調子が良かったのに、高学年で伸び悩んだり、卒団真近かになって急成長のような例もある。しょせん育成過程の小学生。お母さん達みんなが長い目で子供達の成長を見守る事が出来れば雰囲気も良くなる。

 

スポ少の良い所・入って良かったと思う所

スポ少に入ると土日が潰れてしまい、家族の時間がもてない、小学生のうちに経験させたい様々な事に時間がさけない、などという声を聞くが、うちの場合は3年生までは試合数も少なく、サッカー以外の体験もすることができた。

他の用事で練習を休む事があっても団費が安いので気にならなかった。さすがに5・6年生になると、試合も増え土日は殆どサッカーという感じだったが、高学年になる頃は子供本人が他のお楽しみよりもサッカーのほうが良くなってしまうので、誘ってもついてこなかった。

 生活面でのメリハリがついた事は多いに良かった。土日にサッカーがあると思えば、金曜日のうちに宿題や月曜日の用意を終わらせようとするし、土日にダラダラとゲームをする事も無くなる。

  親としては、子供達の成長を真近で目撃する事ができてとても良かった。

今、1番感じている事は、子供というのはある時、急に成長するものなのだということ。ずっとパッとしないでベンチを温めていたような子供がビックリの急成長!というのを今まで3人見たが、人の子であっても感動ものだ。ナイスプレーに対して、他の保護者から寄ってたかって、凄かった!凄かった!頑張った!と褒められる体験は、子供にとっても宝物になるのではないかと思う。

 

反対に親や先生以外の大人に怒って貰えるのもスポ少の特徴だと思う。

試合からの帰り、車のなかで騒ぎすぎてお前ら2度とうちの車に乗るなとコンビニに車を停めて説教をしたママ、合宿先のトイレで大騒ぎしているのを一喝して黙らせたママもいた。もちろん、監督やコーチには数え切れない程怒られている。

私は、子供達がたくさんの大人に本気で関わってもらうというのは、最近ではなかなかない、貴重な機会だと思っている。子供達には、そういう本気の関わりあいの中で成長していって欲しいと願っている。

そして、たくさんの大人に本気で応援してもらった子供は今後起こり得る様々な困難にも強いのではないかと期待している。

 

これまで書いてきて、読んだ人がどう感じるか不安だ。実際の活動の中で、私達の間では意識してはいるけれど、以外と話されない正直なところを書いたつもりだけど、うわー、私はカンベン!と思う方もいるだろうし、スポーツをやって来た人ならば、それ、当然でしょ。と思う事なのかもしれない。

 

私も、スポ少が全てとは思ってはいないし、良い事ばかりではないと思っている。でも、大変な分、子供と関わってきた確かな手応えがあるというのもまた事実だ。

 

もしも子供に何かスポーツをと考えているならば、選択肢の一つとしてスポ少も考えてみてはどうかと思う。

あなたが良質なスポ少と出会える事を心よりお祈りします。