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雨のち晴れ

40代主婦の考え事・いろいろ

2月28日 今日の心模様

あ~。私は今、余裕がない。

一つの仕事の効率を上げる為には、適材適所で、仕事を振り分けたほうが良いに決まっているのだけど、やはり難しいのだと身を持って実感している。

私達の代はみんな協力的だから大丈夫。というお題目で始まった卒団係だけど、いざ、分担を振り分けるなると、妊婦だったり、仕事が休めなかったりで頼めない。やっと頼んでも、彼女はいま〇〇で大変だからと影の圧力がかかり、あら、配慮がなかったわ、ごめんなさい。大丈夫よ、私出来るから。というわけで、1人で抱え込んでいる。

そんな中でも、これじゃ、ガンボさん大変だよ、私もやるよ、何日なら休みだから行くよ、などと自分から言ってくれる数人を心の支えとして、最後の仕事を頑張る所存でござりまする。

その他、ありがちなそもそもアイツ嫌いなんだよ的な小事件もあり、モヤ~とした中でいたのだが、そういう事にこだわっていると精神衛生上よろしくないし、ムキになるのも大人気ないし、仕事も、家事もはかどらないので考えないようにしようと思っている。

 

気分を変えて、今までみた面白かった夢の話をしようと思う。

 

私は夢をみるほうで、起きた瞬間は、ああ、なんだ、夢かあ。と、憶えているのだけど、朝忙しくしているうちに、たいていは忘れてしまう。

思い出せるのは自分で自由な時間を使えた20代以前にみた夢ばかりだ。

 

夢その1:死んだ夢

私は実家の和室の布団に横たわり、傍らに母が座っているのを、もう1人の私が上のほうから見ている。私は死んでしまったのか、ほぼ死んでいるのだった。

なのに母は運動会で走る子供を応援するようなノリで、「ほらっ!ガンボちゃん、頑張りなさい!がんばって!がんばって!ハイ!ハイ!ハイ!ハイ!ほら、頑張れ!」と私の顔の上で手を叩くのだった。

私は、もう、いいじゃーん。死んでるんだから。勘弁してよおー。と思っているという夢だ。死んだらこういう感じなのかなあ、と今でも思っている。

 

夢その2:坂上忍とハワイに新婚旅行

ハワイのホテルのロビーで、坂上忍がチェックアウトしているのを私はシアワセ気分で椅子に座って待っている。そういえば、私達、結婚したんだあ~なんて、納得してしまう自分は夢ならではの現象だ。ありえない現実に自分を合わせるんだよなあ、何故か。

今でこそよくテレビに出ているが、当時の坂上忍は子役で有名だったけど、殆ど忘れられていた。何故坂上忍が夢に出てきたのかわからない。翌日学校で、私、夢のお告げがありました…多分、坂上忍と結婚します~。と大騒ぎした覚えがある。友達は、何で坂上忍なんだよ?サスペンス見たんでしょ?とシラーっとしていたけど…

 

夢その3:裏庭でじいさんに空を飛ぶ方法を教えてもらう夢

家に帰ると、いつものように祖父が庭仕事をしていた。ただいま~など言いながら祖父と話をしていると、じいさんが普通、空は飛ぶものだろうと言う。「なんだ、ガンボはまだ空をとべないのか、しかたない、教えてやるか」という話になり、そこへ弟も加わり、裏庭で空を飛ぶ練習をする事になった。

祖父は直立の姿勢でペンギンのように腕を横でパタパタさせた。そんなんで飛べるか?と思っていたら、横で弟が「ねえちゃん!出来たよ!出来たよ!」と、2mくらい浮いた状態で私の前を通り過ぎてゆく。私も必死で手をパタパタさせたら地面から10cmくらい浮いた。なーんだ、練習すれば空飛べるんだあ!とこれまた素直に納得する私だった。

 

ストレスが溜まった時は面白かった事を考えるとよいのかもしれない。

やっと、眠くなってきた。明日も、また忙しいので寝ようと、思う。

 

 

 

 

 

 

欠席連絡カード

インフルエンザA型が流行していて、学級閉鎖が、相次いでいる。

流行に乗り遅れまいと次男も土曜日から発症。家に籠っている。リレンザのおかげで熱も程なく下がり、今日も暇すぎる一日を過ごしている。

そんな暇な次男にとって、欠席の時に友達が書いて持って来てくれる欠席連絡カードが唯一の楽しみだ。

1時間目…国語  自習

2時間目…音楽  ○さんと△さんがおこられて5分しかできなかった

3時間目…算数  □先生 5年生のまとめ

とつらつらきて、

明日の連絡…宿題なし!

メッセージ…担任の先生がかぜをひいてやすみ。次男がいなくて、さびしくて、目から血がドピュー。

余白…揚げパン5こ食べたぜ。給食食べ放題。

 

欠席の子が多くて、給食のおかわりし放題なのだな。担任の先生もインフルエンザで倒れてしまい、コレ幸いと自由にやっている様子が手にとるように分かる。

 

次の日は班の女子が書いてくれたらしい。

サインペンでカラフルに色付けされた連絡カードがきた。さっすが女子。メッセージ欄には、「早く元気になってね」とある。

 

一昨日の放課後も連絡カードを楽しみにしていたのだが、渡しといてと頼まれて3男が持って帰ってきたのは、プリントの束だった。なんと、次男のクラスも明日から学級閉鎖になってしまったのだ。ガーン!

 

しめしめ。勉強しろ、勉強。いつまでも病人気取りは通用しないんだからね、と思う私であった…

 

 

 

 

 

PTAやってしまえばそれ程苦じゃない

そろそろ来年度の役員を決める話がポツリポツリ出てくる時期。

私は来年度、役員が決定している。あら、ガンボさん、またPTA?という感じなのだが、うちの小学校は子供1人につき1回なので、計3年やるのだ。

 

PTAなんてそもそも無理があるから入らない、解散だという人がいる中、いいえ。必要なんです!なんて言うと、袋叩きに会うんじゃないかと思うが、私はPTAは存在意義があると思っている。

 

子供達の登下校時の安全を地域の人とはかったり、教師と保護者との連携をはかったりする事は子供達の為には必要不可欠だと思うからだ。

 

数年前、学級崩壊があった時は、保護者に授業を公開し、学校と保護者とが共通認識を持って解決しようという方針で事に当たったのだが、その時学校と保護者の間に立ってやりくりしたのは学年部や本部役員の人達だったし、朝霞の中学生行方不明事件の際の探す会の会長はPTA会長だった。特に何かあった時こそ、PTAは機能を果していると思うのだ。

 

実際にPTAをやっている保護者は、全く不満がない訳ではないが、案外、普通にこなしているというのが私の実感だ。

少なくとも、私の小学校での最近のPTA活動は、保護者が仕事や他の兄弟関連などで時間を捻出するのが難しいという事を前提として活動しているように感じている。

大抵は始めの集まりの時に、連絡方法や、連絡のつきやすい時間帯、活動可能な日時を伝えあう。フルタイムで働いている人は特にやれる事、やれない事をつたえる。やると言っておいてやらないとか、連絡がつかないのが1番困る。無理はしないほうが良い。

今どき、役員の活動にどっぷり専念出来る保護者は珍しいので、参加出来ない部分をお互いにカバーしながら進めてゆくのが最近の形なのではないかと思う。ここは参加出来ないけどあれはやるわ。いいわよ。お互い様ね。という感じだ。

そのような中で時間のやりくりがきく人程仕事量が増えるというのは避けられないのだが、もうそこは文句を言い始めたら切りがない思う。そもそもが、ボランティアなのだ。

 

まあ、集まってみると、 やる気満々で通常業務以上の事までやろうとするお母さん、「やれと言われれば、やりますけど」という指示待ち系お母さん「私、なんにも分からないんですぅ~なんにも出来ないんでちゅ」と赤ちゃんみたいなお母さん、話し合い中、「もっと効率よく話しあえないのかしら。バカばっかり!」とイラつくキャリア組お母さん。サボることばあーっかり考えてるお母さんなど、ほんといろんな人がいる。

子供が同じ小学校に通っているという共通点しかない集団なので保護者間で温度差があるのは仕方がない事だろう。 

それをストレスに感じる事もあるが、それでも、普通だったら友達にならないような人と知り合いになるのも、なかなかない機会だと割り切って楽しむ事も出来る。

 

 昨今のPTA批判は、やったことがない人がマイナスイメージばかり膨らみ戦々恐々としているのではないかという印象を受ける。

 

まずは役員をやってみたらどうだろう。

問題点は役員になってから改善することも可能だ。例えば、うちの小学校は一昨年に、部門統合、その前の年は毎月あった全体委員会が年3回になるなど、少しずつではあるがスリム化への努力をしている。

 

それに、やってみたら、たいしたことはない、意外と楽しかった、なんて思うかも。

一生を通して付き合う友だちが出来るかもしれない。私はまだ縁がないが、実家の母は私の小学校時代のPTA仲間といまだにランチだ旅行だと忙しく付き合っている。

 

 

 

 

 

 

 

季節の行事

インフルエンザが流行っているので、気分的に、あまり頻繁に洗わない学校用の手さげやジャケット類などを根こそぎ洗いたくなった。洗うまでは良かったのだが、干す場所がなくて苦労した。チーン…

 

昨日は節分だった。子供達が幼い頃の思い出の風景に残ればと、わりとまめに季節の行事はやってきたのだが、もう大きくなってきたし、特に最近の私は面倒臭い病を患っているので(なんちゃって!)、節分のようなスモールマーケットはスルーしようと思っていた。

 

なのに~。3男が今日は豆はないの?とか今日のご飯はのり巻きなんでしょ。ボク作りたい、作りたい、とうるさいので、あーやれやれと近所のスーパーまで食材を買いに行ったのだが、節分豆が売れきれていた。チーン…

 

仕方ないので大豆を買ってきて、食べられないよ、鬼は外するだけと言う事で庭に巻いた。…鳥さん、ごはんだよ…

 

即席で太巻きを巻いて、喋っちゃダメダメとかぶりついたが、安い海苔というのはビニールみたいになってしまって噛みちぎれないのだ。ママこれ、噛めない!噛めない!あ〜喋った!などと大騒ぎになった。

だいたい、元々、節分だからといって太巻きを食べる風習なんてこの辺にはないの。太巻きを売りたいスーパーの作戦なんだから。切るから戻せと言って普通に皿に並べて食べさせた。

 

今朝、母からのLINE。おひな様、飾りました。との写真が。あら、懐かしい。可愛らしいこと♡

何年か前、もう年をとったし、出し入れが、大変だからと、おだいりさまとおひな様だけ残してあとは処分したのだった。

母は季節の行事などをちゃんとやり続ける人だ。

 

やはり、季節の行事はやったほうが良いな…

なんか、ホッコリする。日本人だもんなあ…

 

キチンとしている昔の女の人への憧れ

長男のスポ少卒団準備の為、なかなか頭を切り替えられず、どうも書けません。

 卒団式、お食事会、涙と笑いの上映会の為のDVD制作、オマエら真面目に書けよ、監督にも渡すんだからね!の文集制作…まあ、楽しくもありますが。

 

それより、つくづく嫌になっちゃうと思うのは、いくつになってもダメ人間な私です。

家事をやるのに、あ~、面倒臭いと、重い腰を上げて嫌々やり、鏡を見て、ああ、BBA(ババア)、もはや手の施し用無しと半ばあきらめ、適当に手をぬいている…いいえ、そんな事ではダメなんです。いくつになってもキチンとしている人はキチンとやっているんです。このまま、こ汚く年老いていくのはしのびない。いつやるの?今でしょ。いつ変わるの?今でしょう…って意思が弱いんだよなあ、私。頭が痛いし更年期かな。なーんて事をつらつら考えているこの頃です。

 

 そんなルーズな私にとって、暮らしも、仕事も、身なりも振る舞いまでもがキチンとしている女の人というのは、本当に尊敬してしまう。若い子は何もしなくても魅力的なのでそれで良いのだ。問題は、歳を重ねてからどうあるのかという点だ。

 

私には、若い頃から、なぜか惹かれて止まない世代の女の人達がいる。大正生まれ。歳の頃は100歳くらいか。子どもの頃、明治生まれのお婆さんは嫁に厳しく、怖いイメージがあるのでちょっとニガテだった。大正生まれといえば、原節子のようなイメージ。丁寧な言葉使い。オシャレ。モダン。暮らしの手帳の愛読者…

最近は殆ど会えない。

 

 

 そして、最近なぜかしきりに思い出すのは、若葉萌える初夏の日、跨線橋で毎日のようにすれ違った、白い開襟シャツのおばあ様なのでした。

3男出産後、里帰りしていた私は、体が戻ってくると、軽い運動になるし、なにより子供たちが好きな電車をみれるという事で、毎日10分程歩いた所にある跨線橋に足を運ぶようになりました。

子供達が手を振ると、運転手さんが手を振り返してくれたり、たまにピーっと汽笛を鳴らしてくれたりするので、なかなか楽しいのです。また、その跨線橋は鉄道ファンの男の人が集まるスポットでもあり、レアな貨物列車や今はないカシオペアなども見ることが出来たのです。

 

午前中、30分かそこら、子供達が飽きるまで過ごすのですが、私はそこで品の良いお婆さんに会うようになりました。彼女は、毎日跨線橋を渡り、おそらく、ちょっと先にあるスーパーで今日食べる少量の食品を買い、また、跨線橋を渡り家に帰るのでした。あまり頻繁に会うので、私はあのお婆さん、今日も来るかなあ、などとぼんやり考えていたのでした。

 

そのお婆さんは、いつもピキッと糊のきいた開襟シャツにタイトスカートを履いて、少なくなった髪をキチッと後ろにまとめていました。

私は彼女について色々な事を想像しました。どういう暮らしをしてるんだろう?少ししか買ってないようだから、1人暮らしかな?

いつもシャツにアイロンをかけているくらいだから、さぞかし家の中もキチンとしているんだろうなあ。毎日、床を水拭きとかしちゃうのだろうな。どんなキレイな部屋にすんでいるのかな。などと、とりとめもなく。

彼女は年寄りによくありがちな、小さな子供をみて、微笑む、話しかけるなどの行為がありませんでした。だからなおさら私は興味をもったのかもしれません。

私は彼女の後をついていって、どんな家に住んでいるのか確かめたいという衝動にも駆られましたが、そんな自分はちょっとヤバイかなとも思いましたし、子連れなので不可能でした。

 

彼女についての情報は、たったそれだけなのですが、私は自分がお婆さんになった時にどのような暮らしをするかを考えると、ほぼ想像上の、あのお婆さんのような暮らしが理想なのです。

夫は他界。子供は息子だけです。結婚してしまえば、寄り付かないでしょう…寂しくないといったら嘘だけど、それも良しと1人の暮らしを楽しむ。

今日食べるほんの少量の食品を買い、無駄のない、チリ一つない部屋で暮らす。

植木鉢に赤いゼラニウム。たまに来た孫にホットケーキを焼く。そのへんはちょっぴりぐりとぐらの世界。

近所のスーパーへ行くにも、シンプルだけど、キチンとした服、髪。

 

その為には…いつやるの?今でしょ。いつ変わるの?今でしょう。

まずは、病気に負けない体を作らないとなあ。免疫力アップかなあ。ちゃんと運動もしないと…ビリーかなあ。お金も貯めないと…美容院行かなくちゃなあ…

ひとまず、介護の資格をとりました。元気にいつまでも働かなければ。

 

お粗末様でした。

 

 

 

 

 

 

とんでもアプリ『斉藤さん』で見られる子供達のゲス現象

次男がスマホを持っているR君の家におじゃまして遊んで帰ってきた。

「ママー今日スゲー面白い事あった!」

と言うので、なに?なに?なにー?とよりによって3男まで一緒になって話を聞いてみたら、とんでもない話だった。

『斉藤さん』という、知らない人と喋ることのできるアプリがあり、

→R君が女のふりしてちんこ見せてと言ったら、斉藤さん(知らない大人)が陰部を出した

→次男が思わず、うわっ!きったねー!毛モジャモジャじゃん!と言った

→R君がしー!しー!と言ったが時すでに遅し

→速攻切られた

→すごく面白いアプリだからママのスマホに入れてよ

という話。ってとんでもない話だ。

なんなんだ?そのアプリ?出会い系か?

 

私はカーッと血圧が上がり、これだから子供にスマホなんて持たせるもんじゃないのだとか、お前はすぐに流されて善悪の判断もつかないのだから、R君と遊ぶのは今臨済禁止だとかを叫び発狂したくなったので、一呼吸おくために近所のスーパーに買い物に行った。

つきなみではあるが、不特定多数の人と話す事の危険性を具体例を出してたっぷりと説教しようと思ったが、それだけでは自分達のゲス加減を本当に理解するのに弱い気がした。頭ごなしに怒るとますます親に言わない事が増えてくる点も考慮しなければ…

 

『斉藤さん』は中高生の間で随分と前からかなり流行っているらしいが、私は知らなかった。

無料で気軽にいつでも誰とでも通話や中継が楽しめるアプリ。=無料で気軽にいつでもカンタンに変態とお話しが出来るアプリ。無料…ハードル低い。

  子供達が愛して病まないYouTubeも見てみた。ああ、これかと思ったのは、斉藤さんアプリを使って若い学生風の男の子が女子高生の振りをして変態を騙す動画だ。こういうのが小学生にうけるのだ。まねして斉藤さんアプリを実況してアップする小学生までいる。

 

斉藤さんアプリは小中学生が夢中になるいくつかの要素があるように思った。

まず、無料。無料だから親に内緒で又は親と交渉しないで簡単に遊べる。

次にスリル。好奇心旺盛な子供にとって、面白い大人=如何わしい大人は興味津々なのだという点。変態ってどんな人?怖いけど、見たい、聞きたい、話したいという気持ち。

最後にいたずら心。常に刺激が足りず、何か面白い事はないかなと探している子供にとって、いたずらはビックリさせるところを見られるので楽しいけれど、常に怒られるというリスクが付きまとう。一方、知らない他人であれば、(怒られないという点でのみ)リスク回避できるし、そもそも、悪い事をしているのは変態の方なのだから。

 

女子高生に自分の陰部をみせて満足している変態には吐き気を催すが、一先ずここでは別の問題として置いておきたい。

私は若者達がこの斉藤さんを使って変態をまんまと騙し、「バーカ!」と狂気乱舞して喜ぶ姿を見て、不快感を感じた。ぜんぜん面白くないし、何年か前のホームレス狩りやおやじ狩りを連想した。

 何か、刺激的な事はないか、面白い事はないか、そうだ、変態をいじってやろう。

ホームレスの小屋に爆竹をぶち込んでビビらせよう。

酔っ払ったオヤジをボコしてみよう。

つまらないから、おとなしいあいつをクラスでシカトして遊ぼう。

軽くみないでほしい。ホームレス狩りと変態騙しの思考は一緒ではないのか?その楽しい遊びはゲスではないのか?

私は多少でも欠点があったり、弱いと思われる人間を見下げて面白おかしく楽しむ行為を断じて許したくない。それこそゲスの極みだ。恥を知れと言いたいのだ。

 

もう一つ言えば、「それは違うだろう、楽しければ何だってありなのか?」と問われれば、変態は騙されて当然。ホームレスのような社会のゴミには何をしても構わない。例えばちょっと空気を読めない奴がいじめられるのは当然の成り行きだと、あらかじめ逃げ道を作って自分を正当化しようとする、その姑息さが嫌だ。

 

 小学生が大人さながらに動画をアップする事には言いようのない感情がつきまとう。怒りというか、不安というか…あの子達は大丈夫か?将来ユーチューバーになりたいのか?何が楽しいのか?アクセスが増えると認められた気になるのか?聞いてみたい。

部屋の中でくだらない動画とってないで、外に出ろ。今、本気で友達と関われ。小学生の今、友達と遊んだリ、ケンカしたりしてたくさん失敗しろ。そのほうがよっぽど刺激的だと言いたい。

 

スマホにフィルタリング等の対応も必要だと思うが、最終目標はどんな情報でも自分で善悪の判断をし、選択できるようになる事だ。

 

人の品格とは何だろう。

ゲスな行動とはどんな行動だろう。

 

今回私はこの点を強調して、何度でも繰り返し次男に話そうと思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もうすぐ小学校卒業。長男の成長を振り返ってみる~幼児編~

幼児期の子育てで1番悩んだのは長男だと思っている。とにかく、育てにくかった。

まず、1~2歳頃から早起きだった。朝の5時頃、「ママ、あしょぼ!ママあしょぼ!」と起こされ、勘弁してよ~とは思うものの、騒音問題もあり、泣かれたら困るとボーッとしながらレゴやプラレールで一緒に遊んだ。ガチャガチャ音をたてると響くので、春、夏はひっつめ髪の着の身着のままで次男をおぶって公園へ行き、遊ぶ事も多かった。

 

その頃、私は長男が同じ月齢の子供に比べると、明らかに言葉が遅いことを気にしていた。

でもある日、近所の子供と道で遊ばせていると、ゴミ収集車を見て、突然「ごみしゅーしゅーしゃ!」と叫んだので、同じアパートのママと「凄い、凄い、喋ったと思ったらこんな難しい言葉だなんてね!」と喜んだのを覚えている。それまで言える言葉がママ・ミユク(ミルク)・もーちゃんぐらいだったのだが、以来段々と喋れるようになった

乗り物が好きで、電車の絵本をよく買った。電車を見ると目を丸くして「でいーしゃ!」と指差ししていた。懐かしい。

 

風邪をひいて熱を出すとすぐに熱性痙攣を起こした。

またその頃、困っていたのはお昼寝から起きる時のギャン泣きだ。いつも目をさますとギャーギャー海老反りになって泣き、何をしても泣きやまず、もう、お手上げだった。

 

言葉が遅かった事もあり、発達が遅いのではないかと心配したのは3歳位だったと思う。

児童館で週1回、みんなでお遊びタイムのような時間があり、アンパンマン体操やら踊りやらをやる時間があったのだが、参加したがらない。他のお友達には興味を示さず、いくら促しても1人でお気に入りのおもちゃで遊び続けた。

 

こだわりも強く、何か納得がいかずに一度泣き始めると手に負えなかった。

例えば、ある日実家から戻り、駐車場で「はい、着いたよー」と助手席のシートベルトを外してあげたら、自分で外したかったのだと泣かれた。もう一度ばぁばの家に戻って帰り直せと言ってきかない。片道40分を引き返すわけにもいかず、泣き声大音量のまま木造アパートに帰るわけにもいかないので、車でぐるぐる近所を走り、ショッピングセンターの端っこに車を止め、泣き止むまで待った。

 

食べる、寝る、行く、帰るといった基本的なことがなかなか進まず、ちょっと移動するのも大変だった。

私としてはこの頃の子育てが1番辛かった。

正直、なかなか公園から帰りたがらないので、じゃあ、勝手にしてよと公園に置いて帰ったり、反対にヤケクソになり、いつまででも遊ぼう。その代わりお腹すいたと言わないでよ!と暗くなっても公園に居続けた事もある。ホント、通報されないでよかったと思う。

 

こんな調子なので、ああ、この子に幼稚園は無理だなあと思い、1年見送り、年中からの2年保育にした。今となってはこの判断が正しかったか分からない。3年保育のほうが主流だし、入れてしまえば案外平気だったのかもしれない。

 

翌年の幼稚園選びは慎重になった。色々廻ってみて、少し遠いが、バスが来てくれる小さな幼稚園に決めた。

その幼稚園はよく子供に絵を描かせる幼稚園で、絵の具や貼り絵、造形や粘土など、子供達の作品展には目を見張るものがあった。また、砂遊び、泥んこ遊びも盛んに行われているようだった。

それまで、育て方が悪いのではないか、育てにくいのは、他の兄弟に手いっぱいで愛情が足りないせいなのではないかと悩む私は、いろんな育児本を読みあさったのだが、発達障害について書かれた本には出会えなかった。

ただ、当時読んだ本の中で、癇癪持ちの育てにくい子供の心を落ち着かせるのに効果があるとの事で、子供によく絵を描かせたり、水遊びや泥や粘土で遊ばせていたので、長男には合っているのではないかと思ったのだ。

同じ理由でスイミングに通い始めたのもこの頃だ。

この幼稚園との出会いは親子共に大きかったと思う。入園前、園長先生に長男の特性を話すと、なんだ、そんな事。全然大丈夫です。問題ない。と言ってもらえたので、私はホッとする反面、懐疑的だった。行きたくないと泣いて大騒ぎするとか、集団行動が出来ずに先生の手をやかすのだろうと思っていた。

 

幼稚園に通い始めると、私の予想に反して幼稚園に行きたくないと言い出す事は一度もなかった。年少さんからいるお友達の輪に入っていくのは苦手なようだったが、今時の遊具こそないが、様々な植物が植えられ、多様な生き物を飼っている園庭に飽きるはずもなく、1人で楽しんでいるようだった。

先生からのおたよりによると、少し戸惑っているようだが、集団行動にもなんとかついていけているようだった。

 

半年が過ぎ、運動会練習が始まった。どんな様子かこっそり見に行くと、暑い中、みんなで演目のお遊戯の練習をやっていた。児童館での様子からして、踊らずに突っ立っているのを想像したが、皆と列になり、手足を動かし、曲に合わせる姿にびっくりするやら安心するやらだった。

 

年長さんになると、園でも少しずつ小学校の生活に入りやすいよう、色々なお仕事をさせたり、ひらがなや簡単な計算を教えてくれた。自由帳にひらがなを書いて持っていく宿題なるものも出現したが、それも割と苦労なくこなせた。

 

最後のお遊戯会は年長さんが司会を務めるなど、園児一人ひとりに大事な見せ場があり、自信を持って小学校に行けるように配慮した素晴らしいものだった。

長男も園生活を通して出来る事が増えていった。

 

そういえば、酷い癇癪を起こしていつまでもジャンプして泣く事は幼稚園の頃には少なくなっていた。

 

 

実はあの頃の子育てが正しかったのか検証したいと思ってここまで書いてみた。

そして、あ~あ、やっちゃったなあ、間違ったなあと思う事が多い。

でも、親ってなんだろうと考えると、全ての親が理想的な環境で模範的な子育てが出来る訳ではない。子供達の前で言い訳がましく口にするつもりはないが、私だって一生懸命やったのだ。

開き直る訳ではないが、結局、子育てって、間違っているかもしれないけど、親が試行錯誤しながらその時出来ることを精一杯するしかないのではないか思う。

だから、もっと後になって、なんであんな育て方をしたんだろうと後悔しないように、時々振り返って軌道修正しようと思うのだ。