自分のなかでこれを言ったり、やったりしてしまったらダメな親だよなあといういくつかの事があるが、コントロールがきかずに「あ~、言っちゃった」と思う時がある。
ゴールデンウイーク中の次男のサッカーの試合での様子は残念すぎた。あぁ、残念な息子。残念無念冷そーめん。疲れ倍増計画。長い目で見守ろうと思ってはいたけれど、我慢できなかった。何故、諦める、ボール取られたら取り返せ、1対1の練習、真剣にしてんの?つーか、サッカーむいてないんじゃん、もうやる気ないなら辞めろ、ぐちぐち帰りの車の中で吐き捨てた。
ヤバイな。これではグランドの横で息子を怒鳴り散らしているチチローもどきと一緒ではないか…私、病んでるなと思う。
そんな時、もっと精神的にも時間的にも金銭的にもゆとりがあれば、大きな気持ちで子供の成長を見守れるのではないかと思い立ち、自分の中のほんの小さな幸せタイムを作ろうとコンビニのデザートコーナーを物色したりする。
そして…完食しておいてなんだけど…でも、それだけじゃ根本は解決しないんだよな、考えなくては。とう思いに至る。
兄弟の中で次男はおとなしい。1歩引いて空気を読むところがある。ぼーっとしているところがイライラする。でも、次男はかわいい。そしてなぜか癒される。
こんなこと言ったら怒られそうだし、自分でも認めたくない気持ちもあるので本当に誰にも言っていないのだが、もしかしたら次男は私が24の時に死んでしまった猫のチャト君の生まれ変わりなのではないかと思っている。
チャト君が死んだ時、私は悲しくて悲しくて、チャト君の亡骸に向かって言ったのだ。絶対に私の息子に生まれ変わってまた会おうね、絶対に生まれてきてよと。
次男が生まれて大きくなるにつれ雰囲気がチャト君に似ていると思う事がある。目、肉厚のほっぺ、おとなしい性格、すぐ何処かへ行っちゃうところ…ダメだ。やはり猫の生まれ変わりだなんて。次男が猫の脳みそくらいしかないみたいだ。バカっぽくてよろしくない。この想像はやめよう。
焦ってはいけない。本来、子供は自分で成長する力を持っているはず。それに 別にJリーガーになってほしい訳では無い。私はただ、幸せに生き抜いてほしいだけなのだ。なんなのだろう、この欲は。このこだわりは。
…多分このイライラは、次男が残念なところを見るのが不憫で許せないというところからくるものなのだろう。サッカーがヘタレな事くらいで不幸になるわけじゃないのに。冷静にならなくては。
子供の成長を見守るってのは忍耐がいる。
とくになかなか伸びない子供は。